タン・フー・ルーが私の知ってるタンフールーじゃない!
日本人の女は、果たしてどれほどタピオカミルクティーのことを知っているのか?という話だ。
タピオカミルクティーが日本で爆発的に流行ったのは2018年頃。その前にも2度ほどタピオカブームがあったそうだが、個人的に問題だとおもっているのが直近の第三次ブームだ。
SNS映えするルックスで"タピる"なんて言葉も生まれ、すっかり日本の女の好物として優等生の地位を築いたタピオカ。
ナタデココやココナツミルク、パンナコッタブームを子どもの頃に経験したアラフォー女からしたら、完全に「またかよ」事案なのだが、タピオカの件に関してはひと言物申したい。
今から十数年前、私は中国の地方都市大連に住んでいたが、当時の大連ではタピオカミルクティーはすでに市民生活に溶け込んでいた。
繁華街のホコ天的なところに、駅のキオスクのような販売店に、地下街の1坪ほどの一角に、こんなとこにいるはずもないのに、タピオカミルクティー屋は悵然と存在していた。飲みたいなと思う5分前くらいに必ず一軒は見つかる。
タピオカミルクティー発祥の台湾もそうだが、中国ではタピオカミルクティーのことを「珍珠奶茶」(チェンジューナイチャー)と呼ぶ。直訳すると真珠ミルクティー。チェンジューナイチャーは当時大連では珍しいものでもおしゃれなものでも可愛いものでもなかった。
携帯をいじりながら暇そうにしている店員…携帯で自分の好きな音楽を爆音で流している…に「チェンジューナイチャー」と告げると、返事もせずにカップにタピオカをぶっこみ、氷とできあいのミルクティーを入れ、カップシーラーにかけてストローを勝手にズバッと差してめんどくさそうに渡される。氷あり、氷なし(常温)、ホットから選択できるのだが、何も言わないと氷入りになる。ミルクティーのほかにいちごミルクやバナナミルクなどもあった気がする。
そのお値段なんと3〜5元(当時のレートで45〜75円)と激安!今は値上がりしてるかもしれないが、いずれにしろ日本で自販機のジュースを買うくらいの感覚の飲み物だった。当然、"映え要素"などなく、爪で引っ掻くと破れるくらいベコベコの安物カップで提供され、ホットを頼めば「溶けやしないか?」と不安になった。
だがしかし、抜群に美味しかった。
コクのあるちょうどいい甘さのミルクティーは恐らく紅茶ではなくて中国茶。そしてモチモチのタピオカ。小腹が空いた時、無性に飲みたい時、どこにいても必ずある、気取らないB級グルメだったのだ。
これが「私の」元祖タピオカミルクティーだ。
勝手な想像だが、台湾で生まれて中国で広まった際に可愛らしさや細やかなサービスなどが削ぎ落とされ、コスパ命!的な中国仕様で浸透していったのではないかと思う。私のチェンジューナイチャーは、ガサツだけど素朴でやさしく甘い中国のチェンジューナイチャーなのだ。
中国から帰国して10年。最近になって日本でまたタピオカが流行った時は驚いた。
懐かしいベコベコのカップとに謎のパクリキャラが印刷されたカップシーラーを思い出す。
昔の彼氏に会うような照れ臭い気持ちで、初めてそのカフェに入った私は、変わり果てた元彼の姿に息が止まった。
再利用できそうに頑丈な容器、何種類も選べる茶葉、トップに浮かんだやわらかそうなクリーム。落ち着いて洗練されていて、オシャレな店内。目を見て笑顔で「いらっしゃいませ」という美しい店員。
元彼は垢抜けていた。
私はあの頃の面影を探るように、「普通のタピオカミルクティー下さい」と言ってみた。
美しい店員さんは困ったような顔で「〇〇(→よくわからなかった)ミルクティーでお出ししますね」と言ってくれた。続いて、甘さや飲み方まで丁寧に聞かれたので動揺し、「おすすめで」とわけのわからないことを言っても最後まで笑顔で接してくれた。
元彼は客に好みを聞けるように成長していたのだった。
会計で値段をみて驚いた。600円もする。
いくら物価と時代が違うと言っても、中国の10倍もとるか?「便宜点儿」(安くしてよ)と値切りそうになったのをぐっと堪えた。そうか、彼はもう私の知る田舎の素朴な兄ちゃんじゃないのだ。受け取ったタピオカミルクティーは冷たくて清潔な味がした。
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時がたち、二番煎じのタピオカミルクティー屋がバタバタと閉店していくのを、昔の男の没落を見るように冷めた目で見ていた頃、流行り物を紹介するテレビ番組に見覚えのあるものが映った。
いちご飴だ。
串に刺した生のいちごにあつあつの飴をかけてパリパリにしたスイーツ。「日本初のいちご飴専門店〜」とドヤる店員。
これはデジャヴなのだろうか?
真っ白な壁のいちご飴専門店で売っているそのいちご飴は、紛れもなく糖葫芦(タンフールー)だった。
見覚えがあったのは、もちろん2000年代に中国・大連の屋台や夜市で売られていたからだ。もっとも、タンフールーの中身はいちごではなくサンザシというひと口サイズのリンゴのような果物だったのだが。
屋台や夜市で売られていたこのサンザシ飴がまた、PM2.5だの自動車排気ガスだのがワラワラと舞う交通量の多い道路端で野ざらしにされている状態。
夜市では店員と客が大声で唾飛ばしながら会話する間にあったりする、無ソーシャルディスタンス仕様。だが食品(生肉や生果物すら!)が野ざらしで売られていることもそれを普通に買うことも当時の大連では日常だったので、「ちょっとアレだけどまあいっか」ってな感じで、2〜3元(30〜50円)と駄菓子感覚で買っていた。バリバリの甘い飴に甘酸っぱいサンザシがマッチしてとても美味しかった。
たまに、「サンザシかと思ったらミニトマトかよ!」というトラップもあったが、慣れればミニトマトはミニトマトで美味しいのでたまにミニトマトバージョンを敢えて食べたりもした。
大連でもいちごやオレンジ飴もあるにはあったが取り扱いが少なく、明らかに鮮度が悪い上に値段も5元(75円くらい)していたので人気がなかった。
そして、日本のいちご飴である。
これまた10年遅れで「新感覚スイーツ」とかなんんとか、飴にこだわったり飴の上にさらにカラフルなトッピングしたりと進化をうたい、いちご4粒かそこらで500円!!というびっくり価格。
日本人の女は、果たしてどれだけ「タンフールー」のことを知ってるのか?という話だ。
私は「タンフールー」について説明すべく、「タンフールー」で画像検索してみて、混乱した。
誰ですか…??
画像検索のトップに出てきたのは亀仙人のような老人キャラだった。「餓狼伝説」というアーケイドゲームのキャラらしい。
日本で「タンフールー」といえばこいつなのか。中国の飴だと認識してる人はマイノリティなのだろう。なんだかもうどうでもよくなってきた。
ゲームの「タン・フー・ルー」の設定に何かしらフルーツ飴の要素があることを祈る。