自殺する人間が理解できないからスタートした話
私は小学生の低学年のころ、
ニュースで自殺報道が流れる度に、
自分で思って、
周りにも言っていたことがある。
「死ぬ気になれば何だってできるのに、なぜわざわざ死を選ぶんだ⁇嫌なことがあるなら死ぬ気で変えればいい。だって、どうせ死ぬんでしょ?」
が持論だった。
特にいじめを苦に…なんて見ると、いじめた奴らに死ぬ気で仕返しすればいい、とすら思っていた。
今思うと本当に私はバカな小学生だったと痛感する。
この考え方は自分を守るのには、
間違いなく有効だった。
私をいじめるやつは返り討ちに合い、
私を畏れおののくようになったからだ。
私のモットーの一つ。
「やられたら、やり返せ。」
まぁ生きていくうちに、
「自殺」を選び取る理由は人それぞれなのだと知る。
必ずしも人は苦しいから死を選ぶわけではない。
まず、最初に私がそう思ったきっかけがある。
私の友達の妹が、
「私できれば、20歳で美しいまま死にたい。」
と言っていたことである。
あぁなるほど、そういう考えもあるのか、と思った。
後々思い返してみると、うちの母親もそういう節があったなぁーと納得できる部分もあった。
「私はいつ死んでもいい!!」と豪語し、
自分の美しさにこだわりモテることに自負があった。
まぁ女とはそういう生き物かも知れない。
次に、中学三年生の時に英語の担当の先生が自殺した。
「自殺」と表立っては言われなかったものの、
雰囲気でその感じは伝わってきていた。
もともと拒食症でミイラみたいにガリガリだった先生。
自分に自信がなく、生徒に言われる言葉にいちいちしょげていた。
無くなる直前、運動会のリレーで走り、あまりの遅さでクラス中から大ブーイングをくらっていた。
クラスの生徒は責める意図は無く、単にイジっていただけなんだけど、本人にとっては負い目の一つになってしまったのかも知れない。
学校側は、何となく体調不良によるみたいな、拒食症に準じた理由を言っていたみたいだけど、生徒の中ではモヤモヤした空気感が流れていた。
彼女を救う手立てはあったのだろうかと、今でも時折り思い出してしまう。
高校一年のときに、クラスメイトに常に長袖、リストバンドをしている女子がいた。
見るからに暗い雰囲気で、笑っていれば顔も整っていてかわいいのに、と思う女生徒だった。
夏でも長袖、ジャージ、リストバンド。
噂でリストカットをしていると流れてきた。
誰とも話をしない。存在が薄く、笑っているところもほとんどなく。誰とも交流せず、
半年ぐらい経ったある日。
彼女が突如学校に来なくなった。
転校したみたいな話だったけど、かなり端的に伝えられただけで、先生も言葉を濁していた。
私は、「あっ、そうか。」と思った。
その繋がりで自殺ではないんだけど、私は大学生の時に付き合った人がリストカットをしていた。
相手は5歳年上、バイト先の先輩だった。
バイトの時はスーツを着ていたので気づかなかったんだけど、デートの時に半袖を着てきたときに気がついた。腕中にリストカットの痕がついていた。
私は気にしなかったけど、相手はすごく気にしていたみたいで、最後まで身体の関係を持たなかった。
彼曰く、「人生は修行だ」と。
自分の欲望と戦っているのだ。自分を傷めつけて溜飲を下げようとする修道士のように語っていた。
付き合いは長かった、出会ってから4年ぐらいは付き合い、私が振られた。
彼は私を受け入れることに対しての自信が、またその用意がないように思われた。
終始、私を傷つけないように、自分を傷めつけていたように思う。
その後、社会人になってからは、自殺だとはっきり感じ取れるほど、深く関係を持てた相手はいないかもしれない。
ただ、報道などで「自殺」したとか、「死んだ」みたいな話を聞くと「ん?」って思うことが増えた。
なぜか、死んだら、死んだって分かるような気がしたから。
その理由となる一つの思い出がある。
私は20代のころ、児童養護施設の就労支援のイベントに参加したことがある。
選抜された孤児の子達がスピーチをして、最優秀賞に選ばれた子には無償の奨学金が月々もらえるといった内容だった。
私は昔から孤児院が併設された学校兼図書館を作るのが夢だったので、興味がありこれに参加した。
このイベントで知り合った1人の女性がいた。
40代で2人の子持ちのシングルマザーの人だった。保険屋さんをやっていた。
気丈に振る舞い、いつも優しく他人を気遣い上品な感じがしていた。
ただ、私はこの人を見る度に、なんだか辛い気持ちになった。何となく、「この人は辛そうだ」といつも感じ取っていたからだ。
私はこの女性と長くやりとりをしていた。
たまにお茶に行ったり、とある集まりで一緒になったりと、不思議と縁があった。
しばらく、付き合いが続いた頃、彼女が子宮頚がんに罹ったという話を聞いた。
真相を本人に確かめると「そうだ」と話してくれた。「治療はしてるんですか?」と聞くと、「私はもういいから。」と抗癌治療など辞退して、そのままにする決意をしたことを話してくれた。
「ずっと1人でやってきたけど、もう自分の子供たちも成人して独り立ちしたし、もういいかなと思って」と話してくれたその人は自分の子供が写る写真を誇らしげに私に見せてくれた。
本当に人生をやり切った、もうエネルギーが残ってないという具合で。
そのすぐあとにお亡くなりになったことを知人を通して知った。
とにかく、生きるのが辛いみたいな感じがしていたから、
私はその時、「人生おつかれさま。天国でゆっくりしてね。」とスッと思った。
やるべきことをやり生きることに縋り付かなかった彼女の生き様は素敵だなぁと感動した。
信じてもらえるか分からないんだけど、
私は死んだら、死んだことが分かる
んだよね。
だから、ある人が死んだと、知らされたときに、
「ん?」と思うことがある。
あぁ、この人はまだ死んでいないだろうなぁと。
本当に死んでたら、いなくなったって感じがするんよ。存在しなくなったみたいな。
それがない人は死んでない。
芸能人の話をすると、上島竜兵は本当だろうなぁって分かる。三浦春馬とか飯島愛とかも。
それ以外は本当かな?って思う人もいる。
瞬間で、そんなはずはないって思うんよ。
まぁ、それはさておき、
とあるYouTuberが言っていた
「自殺するやつは自殺する自分が好きなんだよ」
そう聞いた時になるほどな、とも思った。
自分の友人の妹も似たようなことを言っていたし。
自殺が良くないみたいにいうけど、
本当なのか?と疑問に思うことが最近増えている。
近頃まで精神病院で働いていて思ったこと。
自分の身体を自分で動かすこともできず、自由に動き回れるわけでもない、
ボケて自分が認識したいようにすら認識できなくなり、そんな自分に自己嫌悪し、本気か否か「死にたい」と叫ぶ日々。
人によっては病棟に隔離され、自由は全く許されず、動物園の動物以下のように扱われる。
そこまでして、生き長らえたいと思う人間が本当にそんなに多く存在するのだろうか?という疑問。
昔の、とりわけ江戸時代の日本人は、
長生きできるけど、平均寿命は50歳くらいだったという。
その理由が噂によると、
「生きるのに飽きたから」死ぬんだというもの。
我が故郷の偉人、西郷隆盛も、
生きるのに飽き、死に場所を探して、戦地に赴いたとか。
まぁ推測の域をでないけれど、
結構な頻度でこの手の話をよく耳にする。
近代の戦争ではなく、
それより前の時代にはほどよい戦争があった。
切腹という文化もあった。
猫が頭がおかしくなるような死ぬ寸前に飼い主の元から去るように、
ある程度、人間には自分で死期を覚り、自分で死を選べる余地が昔はあったのではないか?と思ってしまう。
自分が人間という尊厳を保ったまま、誇ったまま死ねる方法があったのではないか?
とにかく、今や手段を問わず、長生きが良いとされる。
その代償となっているものも少なくない。
誰が打ち出した価値観なのか…疑問符が大量に発生する。
若い子たちが、五体満足にも関わらず、死を選ぶ理由、
そして、死にたくとも綺麗に死ねない年寄りたち…
何だか色々経験してみて、考えさせられることがある。
もちろん、どんな最期を遂げるか、は本人の自由だ。
だけど、生きることの尊さや奇跡、
全うして死ぬことの美しさを知らずして、
人生に無闇に見切りをつけてしまうのはもったいないとも、
他人に対しては思ってしまう自分だな。
生き様にも、死に方にも、
その人間の全てが現れる。
私は、選べるなら、意識があるなら、
無様な生き方も死に方もしたくないと
心底願っているが、
最悪の状態になったら、
周りの人間が懸命であってくれることを祈るばかりだ笑