【オリビア探偵事務所の回顧録】作:桜子
【登場人物】
「オリビア・ウォーカー」
オリビア探偵事務所の所長
「マリア」
マリアオリビア探偵事務所の雑用係
オリビアのお世話係でもある。物腰の柔らかな初老の女性
「ルーナ・フィリップス」
少し気弱そうな20代の女性。
住宅や商店が雑多に建ち並ぶ一角にその建物はあった。1階は少し寂れた古書店になっていて、2階から上は住居スペースとして貸し出されている。
ここはその建物の301号室。『オリビア探偵事務所』と書かれた小さな看板が掲げられた扉の前に ひとりの人影があった。歳の頃は20代半ばくらいだろうか。大人しい印象を与えるその女性は しばらくためらいの表情を浮かべていたが、強く決心したように小さく頷くと コンコン、と扉をノックし、ゆっくりとその扉を開けた。
カランカラン(チャイム音)
ルーナ「…あのー、すみません」
(しばらく無音)
ルーナ「あのー!!すみません!!誰かいませんか?」
マリア「(遠くから)はーい、すぐ行くのでちょっとお待ち下さいね──待たせちゃってごめんなさい、ちょうど焼いていたパイを取り出すところで手が離せなくて。それで、ご用件は何かしら?」
ルーナ「えっと、ここがオリビア探偵事務所で合ってますか?」
マリア「えぇ。…あら、もしかして新しい依頼人さんかしら?」
ルーナ「はい、あの…人を、探してほしいんです」
マリア「人探しのご依頼ね。今オリビア所長は外に出ているのだけど…そうね、もう少しで帰ってくると思うから、お喋りしながら待ちましょうか。どうぞ、ソファーに座って。──コーヒーと紅茶、どちらがお好き?」
ルーナ「じゃあ…珈琲、いただきます」
マリア「ふふ、うちの所長、大のコーヒー好きなのよ。所長こだわりのブレンドだからきっと気に入ってくれると思うわ。(カチャカチャコーヒー淹れる物音立てながら)そうだ、せっかくだからアップルパイもいかが?焼きたてよ」
ルーナ「いえ、依頼にきただけなのにそんな…悪いです」
マリア「いいのよ、いつも私達二人じゃ食べ切れなくて冷凍しちゃうんだから。パイも焼きたてで食べてもらった方が嬉しいと思うわ」
ルーナ「…じゃあ、お言葉に甘えて…いただきます」
マリア「ふふ、どうぞ召し上がれ。──所長が帰ってくるまで、簡単に依頼の内容について教えてもらってもいいかしら?」
ルーナ「はい、あの──」
(カランカラン)
オリビア「あの頑固オヤジ、頭くるわ!新しい豆を試飲させてほしいって言ったら『お前の好みじゃない。飲ませるだけ無駄だ』って言うのよ!マリア、今すぐ私の代わりに買いに行って……あら、お客さん?」
マリア「そう、人探しの依頼ですって。新しい豆のことは一旦忘れて、お話聞いてあげて」
オリビア「えぇー…そんなつまらない仕事、やりたくないわ。(ちょっとよそ行きの声)ごめんなさいね、人探しなら警察に頼んでちょうだい。私は今からマリアをあの頑固オヤジのところに連れていかなきゃいけないの」
ルーナ「そんな…」
マリア「オリビア!そんなふうに断ってばっかりで、今月1回も依頼受けてないじゃない」
オリビア「私は難事件を解決したいの。脳みそがキリキリするような謎を解きたいの。人助けがしたくて探偵やってるわけじゃないわ」
マリア「だからって、」
ルーナ「お願いします…!!勿論警察にも相談はしてます。でももうずっと見つからなくて…もう、諦めた方がいいって、言われて…。オリビア探偵事務所には変人だけどすごく優秀な探偵さんがいるって聞いて…お願いします!もう他に頼れる所も思いつかなくて──私の…、15年前に行方不明になった、私の兄を探してほしいんです…!!」
マリア「ほら、こんな必死にお願いしてるのよ。断るなんてかわいそうだと思わないの?」
オリビア「えぇー…でも私には関係ないし…」
マリア「…わかったわ、この依頼を受けるなら貴女が欲しがってる新しい豆を好きなだけ買ってきてあげる」
オリビア「────(長考)わかりました。その依頼、お受けします」
ルーナ「…っ!!本当ですか!?」
オリビア「ほらほら、私の気が変わらないうちに、行方不明になったっていうお兄さんのこと教えてちょうだい」
マリア「うふふ、それじゃあオリビアの分もコーヒーとパイ用意するわね」
(場面転換)
ルーナ「兄は15年前の夏、学校の友達と遊びに行くって出かけたきり行方不明なんです。その友達もその日に遊ぶ約束はしていないし、当日も会ってないって言ってて…兄の持ち物は全部家に置いたままで…。警察の人は家出の線は薄いし何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いって」
オリビア「気分を悪くしたらごめんなさいね。おそらく事件に巻き込まれて行方不明。それから15年も経って未だに見つかっていないならお兄さんはもう生きていないとは思わないの?」
マリア「オリビア!」
ルーナ「いえ、いいんです。普通はそう考えると思うので…でも、絶対に兄は生きています」
オリビア「その言い方、何か確信があるのかしら?」
ルーナ「はい。この絵葉書を見てください。兄が行方不明になった次の年から毎年私の誕生日に送られてくるんです」
オリビア「全部で…13枚。裏面の写真は…ロンドンのビッグ・ベンにエアーズロック、サグラダファミリア…ふーん、世界中の観光名所ね。消印はバラバラ、送り主の記載はなし──これをお兄さんが送っていると?」
ルーナ「裏面の右端、何か描いてあるの見えますか?」
オリビア「これは…王冠と月?」
ルーナ「子供の頃、自分の持ち物に名前の代わりにこのマークを描いていたんです。それぞれの名前からとって私は月を、兄は王冠を」
オリビア「なるほどね…」
ルーナ「それと、絵葉書の写真。いくつかの文字だけ上からなぞったみたいに凹んでるんです。こことか、こことか…あと、ここも」
マリア「あら、本当ね」
ルーナ「きっと兄が私に何かを伝えようとしているんです!でもいくら考えても私にはちんぷんかんぷんで…警察の人はまともに取り合ってくれなくて…」
オリビア「…ふむふむ、なるほど?これは…おもしろい…アルファベットだけじゃなくて漢字やギリシャ文字もなぞっているのね。規則性があるわけではなく…こっちの文字はなぞられていなくて…」
マリア「オリビア所長。謎解きに夢中になるのは後にして、まずは依頼人のお話を聞きましょう」
オリビア「あら、ごめんなさい。それで…うーん、そうね。他に行方不明になった当時のお兄さんの情報はあるかしら?」
ルーナ「そうですね…兄は成績優秀で運動もできて友人も多くて、──あ、これが当時の兄の写真です」
マリア「まあ、かわいらしい子ね」
オリビア「行方不明になったのが13歳。ってことは今は28歳?面影が残っていればいいけど、成長期に別人レベルで顔が変わる人もいるし、見つけるのは大変そうね…」
ルーナ「そう、ですよね…あ、でも兄の背中には特徴的な痣があるんです。だから、それさえ見ればすぐにわかるはずです」
マリア「痣?」
ルーナ「幼稚園の時に家が火事になって…逃げ遅れた私を兄が助けてくれた時に背中に大きな火傷をおってしまって…それが蝶々みたいな痣になって残ったんです。兄は『気にしなくていい、妹を守った勲章だ』って言ってくれたんですけど」
マリア「まぁ、素敵なお兄さんね」
ルーナ「はい!優しくてかっこいい、自慢の兄なんです!」
オリビア「………その痣、どういうものか詳しく見せてもらえないかしら?写真とか残ってない?」
ルーナ「実家に戻ればアルバムに写真が残ってると思いますけど…簡単にで良ければ絵に描きましょうか?」
オリビア「お願い。マリア、紙とペンを用意してあげて」
ルーナ「…えっと、こんな風に背中の真ん中から左側の腰にかけてこれぐらいの大きさで、」
マリア「本当に蝶々みたいね」
ルーナ「そうなんです。こっち側の羽根の方が大きくて…こんな感じです」
オリビア「……(しばらく沈黙)」
ルーナ「…あの?」
マリア「オリビア?」
オリビア「……決めた!あなた、ここで働かない?」
ルーナ「え!?」
マリア「オリビア!?」
オリビア「そうよ、それがいいわ。ここで働けば情報収集や人探しのいろはは自然と覚えられるし、お兄さんに関する情報が見つかった時もすぐに動くことができるし、ね、素敵な提案でしょう?」
ルーナ「で、でも私今働いてるお店が…」
オリビア「お給料はあなたが欲しいだけ出すわ。私、お金だけは嫌になるくらいあるから。勿論探偵事務所の一員になれば依頼料はいらないし、ね?あなたにとって悪くない条件だと思うわ。それにマリアだって人が増えて賑やかになった方が料理の作りがいができていいでしょう?」
マリア「えぇ、人が増えるのは歓迎だけれど、…今までいくら助手になりたいっていう人がきても断っていたのに、いったいどういう風の吹き回し?」
オリビア「ただの気まぐれよ、気まぐれ。──それで?どうする?」
ルーナ「…ううん…えっと……探偵事務所のお仕事の経験はないのでお役に立てるかわからないですけど…でも、兄を見つける手助けができるなら、私、頑張ります!」
オリビア「ふふ、いい返事。じゃああらためて…私はオリビア・ウォーカー。ここのオリビア探偵事務所の所長であり、超優秀な頭脳の持ち主の名探偵よ」
マリア「私は所長のお世話係兼雑用係のマリア。困ったことがあればいつでも言ってね」
ルーナ「ルーナ・フィリップスです。あの、えっと…よろしくお願いします!」
(場面転換)
マリア「まさかこの探偵事務所に人が増える日が来るなんてねぇ。うふふ、でもこれで少しはあなたもやる気を出して小さな依頼…あなたが言う〝平凡でつまらない〟仕事もしてくれるようになるのかしら」
オリビア「……」
マリア「今の仕事の引き継ぎが終わるまでは仕事帰りに短時間顔を出すだけみたいだけど、来月からはフルでここに来てくれるみたいだし、ルーナさん用の机と事務用品。それからコーヒーカップなんかも用意してあげなくちゃね」
オリビア「…」
マリア「この事務所、何年も私とオリビアのふたりだけだったから、なんだか人が増えるって不思議な感じがするわ……もしもし?さっきから私の話聞いてる?」
オリビア「…あの子──ルーナの身辺調査お願い。勿論お兄さんのこともだけど、ルーナとご家族の交友関係、周囲からの評判やいろんな繋がりなんかも入念に調べてほしいの」
マリア「それは…どういうこと?」
オリビア「大丈夫だと思うけど念の為、ね」
マリア「…ルーナさんが何か企んでいると思っているの?」
オリビア「念の為だってば。多分あの子は何も知らない。純粋に、行方不明になった兄を心配しているだけの心優しい妹」
マリア「それじゃあ…どうして?」
オリビア「警戒対象は行方不明の兄の方よ。ご両親がどうかは調査してみないことにはなんとも言えないけど、おそらくルーナ同様に無関係の可能性が高い」
マリア「…ごめんなさい、あなたが何を言いたいのかわからないわ。行方不明のお兄さんに何かあるの?」
オリビア「ルーナが言ってたお兄さんの特徴。〝背中から左腰に大きな蝶みたいな痣がある〟──過去に一度だけ、それとまったく同じ物を見たことがあるわ」
マリア「まぁ!まったく手掛かりなしっていうわけじゃないのね。それならルーナさんのお兄さん探しはあまり難航せずにすみそうかしら」
オリビア「難航せずにすみそう?…バカ言わないでよ。私が死に物狂いで10年探し続けて、それでも見つけられていないのよ」
マリア「10年…それって、まさか…」
オリビア「新しい探偵事務所のお仲間は、人探しのお仲間でもあるってこと」
マリア「……そんな、まさか、…本当なの?」
オリビア「本当よ。…マリアには痣のこと、言ったことなかったかしら。…あの日、無惨に殺された家族の遺体にすがりついて、ただ泣くことしかできない私を嘲笑うみたいに走っていった後ろ姿。窓から飛び降りる時に服の裾がめくれ上がって、その背中の痣がくっきり見えたの。──あの忌々しい蝶の痣。あの日から一秒だって忘れたことはないわ」
マリア「…」
オリビア「あんな特徴的な火傷跡が同じ位置にある人間がそう何人もいるわけないわ。私の探し人はルーナのお兄さんで間違いない」
マリア「そんな……それじゃあ……ルーナさんを探偵事務所に入れて、本当に大丈夫なの?」
オリビア「言ったでしょ。あの子はお兄さんとは無関係よ。むしろあの子を手元に置いておけば、今までとは比べ物にならないくらい、お母様達を殺した犯人の情報が手に入るはず」
マリア「それでも…危険じゃないかしら」
オリビア「10年間、まともな手掛かりが見つからなかったのよ。こんなチャンス、逃すわけにはいかないわ。自分の命を引き換えにしたっていい、絶対に復讐するってお母様達の墓前で誓ったの。──(優しい声で)マリアは、もういいのよ。私一人でも大丈夫だから。私から離れて平穏な暮らしに戻っても」
マリア「オリビアお嬢様一人を危ない目にあわせるなんて、奥様に叱られてしまいます。…うふふ、いいのよ。私はもうとっくの昔にあなたと地獄に落ちる覚悟は決めているの。あなた一人を復讐という修羅の道を歩かせるつもりはないわ」
オリビア「……うん」
マリア「それに、私がいなくなったらご飯も洗濯もどうするつもりなの?わがままお嬢様のお世話が務まるのは私くらいのものよ?」
オリビア「ご飯くらいなんとかできるわ!…でも、うん、そうね。私のわがままに付き合ってくれて、ありがとう。──もう少し、きっともうすぐよ。ルーナとの出会いで、ずっと止まっていた時間が動き出した。…予感がするの。きっともうすぐあいつに復讐の手が届く。絶対、見つけてやる」
大好きな兄を探す彼女。
家族を殺された現場から立ち去る人間を探す彼女。
「彼」を探す二つの線。平行に伸びていた二本の線が交わる時、新しい事件が起こる。
はたして、この物語の行き着く先は──【オリビア探偵事務所の回顧録】これより開幕。
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