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見切り品のいちごをお持ちかえりした"あの夜"の話

仕事帰りに週3で通う、
閉店間際の八百屋に君はいた。

さっきまで西日に照らされていたであろう
日当たりの良すぎる陳列台の上で、
君はパックの底に不本意に押しつけられていた。

周りにずらりと並ぶいちごの中でも
一際真っ赤に熟した君は、
既に果汁がしとどに滴り
パックから溢れだすぐらい濡れそぼっていた。

そんな君を見つめていたら、
「傷んでるから持って帰っちゃってよ!」
と、八百屋の店主に声をかけられてしまった。


君が一言も主張しないのをいいことに
僕は傷ついた君を家まで連れて帰った。

君を抱えながら、玄関の扉を開け、
乱暴に靴を脱ぐ。
そして、なだれ込むようにキッチンに辿り着く。
君を窮屈そうに覆っているフィルムを剥がして、
一刻も早く狭いパックから解放したかった。

一糸纏わぬ君はフィルム越しに見るよりずっと、
清らかで美しかった。
なにか神々しさを感じるほどの君の美しさは
傷ついた肌を一層痛々しく見せていて、
触れるのを躊躇うほどだった。

そんな君を見て、
僕は君のためなら何だってできる気がした。

冷た過ぎない水で丁寧に君を洗い、
何かに急かされるように
しかしそっと君を口に含むと、
意外なほど甘美さは感じられなかった。

君の中身は、見た目よりずっと無垢だったのだ。
例え外側は傷ついていても、
君は何者にも穢すことを許さない、
芯の強さをもっていた。


とはいえ、君をそのままにしておく訳にはいかない。
僕はこれまでに得た少ない経験を活かし、
少し手を施させて貰うことにした。

滅多に開けることもないキッチンの戸棚の奥に
5年前にチェコで買ったお酒と、蜂蜜を見つけた。
フルーツをワインに漬けるサングリアが頭に浮かぶ。
デキャンタにそっと君を移し、
お酒と蜂蜜を注いでみることにした。


僕になされるがままに
プラムがほの香るリキュールと、
たっぷりの甘い蜜を纏った君は、
まるで香水をつけて背伸びをした、
オトナに酔いしれる少女のようだった。

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次の朝、ひとりベッドの中で目覚めると、
すぐに昨夜の潤んだ手触りと
鼻孔をくすぐる繊細な香りが蘇った。

昨夜の出来事が夢ではなかったことを願う、
少し混乱した頭で
手についた赤い跡に気づく。

ああ、あれは現実だったのだ。
じんわりと胸に溢れる安堵と喜びに浸る。

あの子は今、どうしているのだろう。

そう想うと、夜が明けるまで
芳香でむせあがるような暗闇の中、
じっと耐えるしかなかったであろう君の顔を
狂おしいほど見たくて堪らなくなった。

内側からほとばしるように込み上がる欲望に身を任せ、
手荒く冷蔵庫をまさぐる。

数時間ぶりに対面すると、
君はまるで僕をずっと待ちわびていたようにすら見えた。

なるほど、少女は一晩で女になるとはよく言ったものだ。


昨晩ひと目見て気に入り
強引に家まで連れて帰ってきてしまった訳だが、
今朝もう一度冷静な頭でまじまじと眺めると、
僕はこの子の良さを本当の意味では
理解していなかったのだと、
量りしれない魅力に頭を抱えてしまう。

そんなことも分からず軽率に行動してしまった、
自身の未熟さを恥じると同時に、
衝動に身を任せられるぐらい
若いうちに君と出会えた、
この運命ともいえる巡り合わせに人生の神秘を感じる。
僕は前世でよっぽどの徳を積んだのだろう。


昨夜からずっと随分な糖分に晒されていた君は
浸透圧で水分という水分を身体から出し切り、
自身の果汁の海からひっそりと、顔を出していた。

昨夜の今にも消えてしまいそうな
儚げな吸引力とはまた違う、
成熟した女の色気がそこにはあった。

昨日僕に大人しく導かれていた君が、
艷やかな微笑みを浮かべ、
怪しげに射抜くような眼差で
今度は僕を誘っている。

その、身体を少しも隠せていない
小さな葉を微かに動かすことすらせず、
僕を快楽のなれ果てまで導こうとしている。

昨日とは完全に逆転してしまった
この関係性に動揺しながら、
どこか、この状況を楽しんでいる自分がいる。


今日の君は、一体どんな味がするのだろう。

そっと君に手を伸ばす。
一度口にすれば、もう、後戻りはできない。

昨日よりずっと深く、君に溺れてしまうだろう。

それが分かっているのに、いや分かっているからこそ、
君を口にしないという選択は僕には残されていないのだ。

*あとがき*
甘くないいちごは、リキュールと蜂蜜(またはお砂糖)に漬けると、翌日には美味しく大変身を遂げます。お酒が苦手な方は、リキュールを抑えて蜂蜜を多めに。牛乳で割ったら、もう一度優勝できます。ああ、いちごって甘いのだけじゃなく、甘くないのも魅力的でくらくらしちゃいますね。

それを伝えたいのと、「濡れそぼったいちご」と言ってみたかっただけで書き始めたら、こんなことになっちゃいました。

ぜんぶ、いちごのせいだ。

いちごは、スタッフもとい筆者がおいしくいただきました。(そりゃそうだ)

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