愛に理由はいらない #月刊撚り糸 (2021.2.7)
「彼女の名前は、なんて言うの?」
月夜の差し込むベッドで、蓮に抱かれる前に外したピアスをつけながら、蓮の顔を見た。
「真帆のこと?」
「なに言ってるの。真帆は私のことでしょう?」
笑い飛ばすと、蓮は神妙な面持ちをした。
私の手を取った蓮は、マスタード色のマニキュアが塗られた指先にキスを落とす。
その表情はとても色っぽくて、私はもう一度蓮をベッドに押し戻した。
「もう一回、しよう?」
蓮の唇を自ら奪う。蓮は体勢を変えると、私に覆い被さってきた。
蓮が私の指先に口付けるたび、蓮の彼女の顔が私の脳裏にチラついてしまう。
私は、なんであの日、蓮の彼女に会いに行ってしまったんだろう。
そもそも、あの子と私のどっちが、蓮の本命なのかだって、はっきりしていない。
どっちだったとしても、私からも彼女からも、蓮は自ら離れてはいかない。
「真帆」
蓮が耳元で甘く名前を呼ぶ。
蓮はいつだって狡い。ふたりでいるときだけは、誰よりも私を愛してくれる。
くれる言葉も、重なり合う唇も、繋がる身体も、この瞬間の蓮の愛を疑うことなんてないくらい、まっすぐに愛してくれた。
口付けの合間に、自分の指先が目に留まる。
蓮がプレゼントしてくれた、マスタード色のマニキュア。
蓮の彼女も、これをして蓮に抱かれたのだろうか?
嫉妬心から、つい蓮の胸板を押す。蓮はどうしたの? と言わんばかりに、まっすぐに私を見下ろした。
「彼女の名前は、なんて言うの?」
さっきは、私の名前を呼んでくれた蓮だったけれど、普段から蓮は私の名前をほとんど呼ぶことはない。
ときどき、他の女性の名前と間違えて呼んでくれたら、この不毛な関係も終わりにできるのに、そんな風に思うこともあった。
「真帆だよ」
嘘吐き。
そう言いたい気持ちをグッと堪える。
蓮の胸板から手を離すと、私は蓮の背中に腕をまわして、蓮を引き寄せた。
都合のいいオンナになればいい。
最初から、蓮が私だけじゃないことなんて、わかっていたはずでしょう?
彼女の見た目も雰囲気も、私とはまるで違っていた。彼女にはきっと、マスタード色のマニキュアは似合わない。だから蓮は彼女ではなく、私にこのマニキュアをプレゼントしたんだろう。
「じゃあ、私のどこが好き?」
顔なのか、身体なのか。
それはきっと、彼女とは違う部分なのだろう。
どんな部分だったとしても、嬉しいのと同時に傷つく。
それでも、答えを聞きたいと思ってしまう私は、どんな答えを求めているんだろう。
身体の相性だなんて言われたら、身も蓋もない。もう少しオブラートに包んで欲しいって思うだろうし、顔だなんて言われたら、じゃあどうして彼女と付き合ってるの? と問いただしてしまうかもしれない。
「名前かな」
それなのに、蓮の口から出た答えは、そのどちらでもなく、私の緊張感を解いた。
彼女とは、絶対に違うものを言われて、ちょっと胸がきゅんと疼く。
「名前?」
「うん、真帆って名前。すごく素敵だよ」
蓮は嘘を吐かない。
きっと私の好きなところが、顔でも身体でもなく名前だと言うのは、本当なのだろう。
蓮の唇が私の唇をとらえる。
唇が離れると、また「真帆」と呼び、私の耳たぶを何度も甘く噛む。
いつもより格段に多く呼ばれた「真帆」という名前が、全部「愛してる」だったらよかったのに、と嫉妬してしまった。
「俺がプレゼントしたマスタード色のマニキュア、よく似合ってる」
嬉しそうに、蓮が目を細める。
「ありがとう。すごく気に入ってる」
「よかった」
もう、蓮の腕を振り解くことなんてできない。
蓮はやっぱり狡い。
自分は誰のものにもならないくせに、私の心を蓮の心に縛りつけてる。
きっと彼女も今頃。
私より似合わないマスタード色のマニキュアを塗りながら、蓮の繋いだ甘い鎖に囚われているのだろう。
「蓮、私たちがこうやって身体を重ねるのはどうして?」
「そんなの、ひとつじゃないから答えられない。だけど俺は、どんなときだって真帆しか愛してない」
にこりと笑みを零す蓮。
いつだって、私の望む関係とはほど遠い。
だけど、そんな風に見つめられたら、もうこの名前以外愛されていなくてもいいとさえ、思ってしまう。
彼女の名前は、なんて言うの?
もうそんなこと、どうだっていい。
蓮が私の名前を愛してくれているなら。
「このマニキュアは、君以外は誰も似合わないよ」
蓮がじっと私の指先を見つめる。
彼女はきっと、あのマスタード色のマニキュアをして蓮に抱かれたんだ。
「そんなこと、ないでしょ」
「いや、ほんと」
きっと彼女は、私のことを問いただすために、あのマニキュアをして蓮に会いに行く。わかっていたのに、どうしてこんなに胸が痛むんだろう。
彼女をひとめ見たとき、蓮が彼女にはこのマニキュアをプレゼントしていないって、わかっていたはずなのに。
「このマニキュアをした彼女のこと、抱いた?」
蓮の眉がピクリと動く。
知りたくない答えのはずなのに、聞いてしまうのはどうしてなのか。
今私を愛してくれてるなら、それでいいじゃない。
「抱いたって答えてほしいの? 抱いてないって言ってほしいの?」
「蓮の気持ちが知りたい」
蓮は嘘を吐かない。
正直だからこそ、愛しいし憎たらしい。
「俺たちが愛しあう理由は、ひとつじゃないだろ?」
「そうね」
きっと彼女にも、この言葉を囁いているのだろう。
「愛してる」の代わりに。
2021.2.7
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