いじめられていた過去

小学生の時にいじめにあった。
病弱で、校庭で遊んだりしない子だった。
蓄膿症で、いつも鼻水が垂れていた。
汚い汚い、と同級生はおろか、上級生からもいじめられていた。

家にはいつも、薔薇の花が小さな庭に咲き誇っていたので、いつも母が大きな薔薇の花束を新聞紙で巻いて、学校に持って行きなさいと毎日せっせと学校に持って行った。

月曜日から日曜日まで、お稽古事が詰まっていた。
珠算、油絵、英会話、クラシックバレエ、水泳。

体操着が盗まれたり、靴に画鋲が入っていたり、階段から突き落とされたり、数えきれないいじめにあった。

ほとんど誰も口をきいてくれない時もあった。

女教師まで皆と一緒にいじめてきた年もあった。

学校は12年一貫性の女子校だった。

学校から帰ると、近所の男の子たちが一緒に遊んでくれた。

自転車に乗って遊んだり、鬼ごっこをしてくれたり、当時流行っていたローラースケートで遊んだり。

男の子たちは皆んな優しかった。

小さな近所の塾に通っていたが、そこの公立学校の女の子たちも優しかった。

中学生になり、帰国子女の女の子たちや、新たに受験して新しい子たちが入学してきた。

中1の夏に、アメリカのオレゴンに1か月ホームステイをした。

オレゴンでは、まるで自給自足のような生活で、森や川で遊び、そこら辺の野生化した鶏の卵を拾って焼いて食べた。
甘いものが欲しければ、木に登ってプラムを好きなだけ食べた。

1か月で背は15センチも伸びた。

帰国して学校に戻ると、私をいじめる子はほとんど居なくなっていた。

中学で流行っていたビルボードの曲やテレビの小林克也のベストヒットUSAを見たり聞いたりして、各々、曲の自作の和訳を見せっこして楽しく過ごした。


一番つらかった時のことを考える。

優しい男の子たち。

優しい女の子たち。

私をいつも助けてくれたのは、公立の腕白でやんちゃな男の子たちだった。

私はどれだけ救われたかわからない。

有難う。
一緒に遊んでくれて有難う。
いつまでも忘れない。
みんな幸せでいてね。
きっとだよ。

あなた達がいたから、生きてこれた。

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