gotch 『無謬』考
リスナーとは勝手なものだとつくづく思う。
作り手の意図した作品は、作り手の手を離れると、受け取る側によって無限に解釈される。
私もまた、勝手なリスナー。
私もまた勝手な解釈をして、この作品を誰よりも愛している。
というか、gotchの最高傑作だと思っている。
私は、この作品を聴いて思ったのが、地球時間だった。
45分強の作品。
今から45億年前に、地球は生まれたと推測されている。
曲は静けさの中に始まり、静けさの中に終わる。
途中に聴こえてくる三味線のような音。
小銭をジャラジャラするような音。
分数と併せて聴くと、とても面白い。
39分直前に聴こえる爆発音のような音。
また、曲は静けさに向かう。
勝手な解釈が、あるアーティストの作品を勝手に膨らませ、自分にとって唯一無二の愛する作品に思い込む。
とても素敵なことだと思う。
作り手の意図や意志を離れ、作品は新たな命を吹き込まれ、万人がそれぞれの意味を感じる。
芸術とは、なんだろう。
誰かにとっての石ころは、あなたの手の中に握られた宝石なのだ。
宝石もまた、一様に石ころである。
心と体。
命を吹き込まれた音楽。
私がただ言いたいのは、gotchのこの『無謬』という音楽を、誰よりも愛しているということである。
ものすごく勝手に。
ちなみにこの駄文を生理2日目の血まみれの中書いている。
そういえば、初めて行ったアジカンのライブ、ホームタウンツアーの千秋楽もまた、生理の2日目で血まみれであった。
不思議と痛みはなかった。最高のライブだったからかもしれない。
何やら私の月のものは、体内時計は、gotchの音楽と連動しているらしい。
文字通り、私は血を流しながら聴いたり書いたりしている。
女はいつでも血を流しながら愛す。