お正月とイチゴ
年末近くに、イチゴを注文した。
美岳小屋、という農場の「虫食いイチゴ」という苺である。
無農薬、自然栽培である。
私の家の庭にもイチゴが自生している。
たいていナメクジさんが食べている。
イチゴをプランターで何度も育てたことがある。
難しい。
私は直ぐに屈服した。
ホームセンターで「イチゴの肥料」なる(おそらく、というか間違いなく)化成肥料を購入して使用した。
虫はつかなかった。
今考えると、恐ろしい。
市場には、スーパーには、真っ直ぐなダイコン、真っ直ぐなキュウリ、虫食いの跡の気配すらない野菜や果物達が並び、そうで無いものは「規格外」として人目につかない場所にいる。廃棄されるものもある。
まず、自分自身に激しく憤りを感じる。
何よりも生産者に農薬や化成肥料を使わせているのは、消費者である私達である。
食べ物を、生き物を、殺して、捨てさせている。
そうしてホルモン剤漬けの牛の肉を食べた男の子たちの乳房が膨らみ、薬漬けの養殖魚や野菜しか食べられない最下層の生活を強いられる女の子達の生理が重くなる。
全て、繋がっている。と思う。
証明するすべは私にはないが。
イチゴは、元旦に採られて、次の日、つまり今日2日に届いた。
美しいイチゴだった。
虫が食ってボロボロのイチゴでもよかった。
形がバラバラで、歪な形のイチゴでもよかった。
でも、美しいイチゴを贈っていただいた。
小さなメモが同梱されていた。
新年の挨拶と感謝と、イチゴが今年の初物だという内容だった。
字は、小さかった。丁寧に文字が揃っていた。決して伸び伸びした字でも、活字の様に綺麗な字でもなかった。その、ささやかな筆跡が、私に涙を流させた。
膨大な量の虫食いの作物が脳裏をよぎった。
市場価値がないとされるもの。
生きている意味がない、とされるもの。
強烈な怒りと悲しみに襲われた。
イチゴとその筆跡は、痛烈なメッセージソングのように私を圧倒した。
涙がとまらなかった。
もうこのままでは終わらせない。
変える。
帰る。
私たちが行くべき未来、懐かしいふるさとへ。