ギブとテイク、そしてラブ
自分が心からしたいことをするとき、周りに迷惑かけるのではないかと後ろめたく思っていても、それが結果的には迷惑どころか人の役に立ったりする。
反対に、情けは人のためならずともいうように、人のために行動すると自分にいいことがある。
以前、シフト制の職場で働いていたときのこと。
そこには最小限の give で最大限 take しようとする人――限りなく「take専門」に近い人がいた。(注:テイクアウト専門ではありません)
それはそれとしてその人は時々、熱を出したりして突然欠勤した。すると他の職員が急遽シフト変更の要請を受ける。
私は、直前であっても快くシフト変更を引き受けていた。
シフトを替わることに何ら支障がないのに「えええ~」などと言って、さりげなく負担の重さを主張し、さりげなく恩を着せてもよかったのだが、めんどくさいのでそうはしなかった(笑)
そして不思議なことにその人とシフトを替わると、難を免れる結果になるのだ。
休みの予定が出勤になれば、他で1日休むわけだが、
1回は、その休みの日に親の通院付き添いの要請があった。
もう1回は、親戚が亡くなりすぐに荼毘に付されるということで、その日でなければ「最後のお別れ」ができなかった(コロナ禍で、いろいろなことが大きく制限されていた時期だった)。
シフトを替わっていなければ、私の方が急遽欠勤しなければならないところだった。
普段 give してた分が返ってきたのだろうか。
ほかにもう1回くらい、なにかあったような気がする。
give と take は、一見そうはみえなくても、結局どこかでバランスしていたりする。
最近はこんなことがあった。
クラウドに預けてあるデータの整理という、さりげなく膨大な時間を食う作業をしていた。
データの保管というのもなんらかの環境負荷がかかっているのだろう。
不要なデータを捨てることで、これをわずかでも軽減しようというエコな?動機。
もちろん、単純に不要なものをそのままにしておくのは気持ちが悪いというのもあって(笑)
数が多いのはスマホで撮った写真データ。
私にはラジオでかかっている曲が気に入ってその曲名とアーティスト名がわからないとき、番組㏋の「現在のOn Air曲」をスクショしておく習慣がある。
それらの写真データを捨てる前に曲を聴くという作業をしていたら、ハートに刺さる曲をみつけた。
これもまた、give と take がバランスした例(こじつけ?)
https://www.youtube.com/watch?v=HWZ0YTSJIxY&list=RDHWZ0YTSJIxY&index=1
バックに流れている(サンプリングというらしい)のは 10㏄ の I'm not in love という有名な曲。
「昔々、東京に disco ちゅう遊び場があってのう、チークタイムになるとこの曲がかかっていたんじゃ。なあ、ばあさんや。」
いやそこまで昔じゃない(笑)