岡山新報デジタル【神道諸派】
◆神道諸派に付いて
【伯家神道】
伯家神道(はっけしんとう)は、花山天皇の子孫で神祇伯を世襲した白川家によって受け継がれた神道の一流派である。
白川神道(しらかわしんとう)とも呼ばれる。
律令制のもとで、神祇官の長官である神祇伯には、当初は大中臣氏が任ぜられ、後に藤原氏や源氏など他の氏族も任じられるようになった。花山天皇の皇子清仁親王の王子延信王は万寿2年(1025年)に源姓を賜り臣籍降下すると、永承元年(1046年)に神祇伯に任ぜられた。神祇伯は延信王の後、その子康資王、三条天皇の皇曾孫敦輔王、大中臣親定、村上源氏の源顕房の子顕仲、顕仲の甥顕重と補任された。康資王の孫の顕広王が永万元年(1165年)に神祇伯に任ぜられて以降、その子孫によって神祇伯は世襲されるようになり、後にこの家系は「白川家」や「伯家」、「白川伯王家」と呼ばれるようになった。
室町時代後期になると、吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し神祇管領長上を称した。兼倶を輩出した吉田家は神祇官の次官である神祇大副を世襲していた家系だが、白川家の当主の忠富王は兼倶の指導を受けていた。
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