小説 廃屋の奥の部屋の写真と、普通に生きている僕が交錯する部分。
小説 廃屋の奥の部屋の写真と、普通に生きている僕が交錯する部分。
その廃屋は、人里から随分と離れたところにある。もちろん既に人なんていないし、山奥で木が密集し立ち入りづらいことから、いたずらしにくる人も来ないようなところにある。昔、ここは、どこにでもあるような1つの村で、なんてことない普通の生活が営まれていた。座椅子が2つ、テーブルが1つ。もう黄ばんでしまったタンスと、蓋が空いた炊飯器。泥で汚れた昔のパッケージのレトルト食品。そして隅の奥の、キッチンの、奥の部屋に、飾られているのは、1枚の写真。若い夫婦の写真。ここに暮らしていた2人は、都会の便利さを知ったせいで田舎の不自由をいとも容易く捨てた。
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恐ろしいほどの速さで変わり続ける世界に、僕はくしゃみが止まらなくなる。先日も、札幌にいながら、広島に引っ越した友だちと顔を見合わせながらお酒を飲んだ。近況とか最近ハマってることとかをまるで1次面接みたいに形式的に、話してしまった。久しぶりに見たからか、人の変化を強く感じた。住む所とか環境で顔つきも変わっていくなぁとぼんやり感じながら、他愛もない話をした。日常の中に急に転がり込んできた便利を、喜んで受け入れた人間たちは、いつの間にかそれを持ったり使ったりすることが普通になった。それに対して何とも思わないし、だから何だって思うけど、昔はもっと何をするにも不自由で、だからこそ存在した繋がりがあったんだなぁって思ったら、なんだか寂しいなって感じがする。
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その廃屋の中は薄暗くて、湿った空気と雨の匂いが1日中、漂っている。外に井戸があり、水を汲み、薪を積んで、火を起こす。今みたいなライターとかガスなんてないものだから、火を起こすだけでとんでもない時間がかかる。人間が本来持っていたもの、失ったものがそこにはあった。
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少しだけ熱が出た。一人暮らしだと、本当に困る。休みの日にやろうとしていた家事の予定を全て投げ出して外から鳥の鳴き声が聞こえる。行く末を見る。何もしない1日の結果が憂鬱だろうから身体を起こそうとするのだけれど、思いとは裏腹に、意識との別れは早々に訪れる。僕は、今日これからyoutubeで何度、広告を聞いているだろう。動画の前のスキップできたり出来なかったりするやつ。どこか知らない場所で穏やかな時間が過ぎ去っていく頃、広告は何周するのだろう。フィルターがかかってアスファルトで固めた世界には、1秒の価値が重くなった。もっと時間というものは仲間だったはずなのにいつの間にか、遠いところにあって、なんだかとても切なくなった。二度寝〜。
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山の上にはまだ雪が残っている。この廃村までも途中までは自転車で来たが、まだ、冬の名残りが残っているのだ。人も街も変わっていく。変わる前の温かさ、確かにそこにあった温かさ。綿帽子を被った山がすぐそこに見えている。ここからもう少しあがればそれだけ空気も薄くなり生きていくのも困難になる。だけどそこで慣れれば、今までのキャパとかそう言った限界を突破できるような、そんな気がする。
僕はこの変な廃村を抜けてまだ雪が残っていて、冬が後ろ髪を引いているあの山へ向かう…
という、夢を、ここまで見て2度寝からはっきりと目を覚ました。夢現、しかしあの村の空気感、肌触りをリアルに実感していたからか、そこに本当にいた気分になっている。いや、本当にいたのではないだろうか。遠い昔、まだ僕たちが不自由だった頃。人と人が集まり、話し、近くにいないと聞こえない声を頼りに歩いていた時代の話。恐らく、今の僕に不足しているものなのだろうと思った。この何不自由ない生活が、どこまでも不満足であることを象徴する夢だった。続きが見たいと心から思い、再び目を閉じる。気がつくと、どうやらもう夢の中の僕は山に辿り着いていた。
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寒い。冬に戻ってくると、途端に体が冷える。現実で春を体感しているからこそ、冬を感じると、より寒く感じる。人の気配のない山の上。木の橋。丸太で作られた人工的な自然。獣道はやがて人が通るようになったのか、木や草が避けられていてしっかりと道になっている。自然の中の世界にまで人の手が侵食しているのを実感し、やるせなくなる。山は遠くにそびえ立つ自然の象徴で、人間にはどうすることもできない敵わない存在だと思っていたけど、しょべるかーとかだんぷかーによって、全て人間の意のまま、自己中心的に変えることが出来るようになった。恐らく、今まで長い間。山に対してへりくだっていた人間たちの復讐だろう。僕はそんなに長い間、山と向き合ったことなんてないから、まあまあそこまでしなくても、と薄っすら思っているくらいだ。当事者意識を持たないまま、持てないまま。こうやって誰かのせいにして、私には関係ないって顔をしてのうのうと生きる。雪山を見上げながらここまで話が飛躍するなんて思わなかった。そろそろ、僕も自分の人生を自分事のように生きなきゃ。偽物でもなんでも良いから、自分という殻は自分しか使えないのだからそれで生きなきゃ。夢から醒めよう。
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長い年月が経った。時計の針の音、少し気だるい朝の6時37分。今日はまだゆっくり寝れるはずなのに普段の習慣からか、大体これくらいには起きてしまう。便利になったから、周りがよく見えて、今まで大きく見ていたものが細部まで細かく見えるようになった。人と比べ、他人と比べ、自分に足りないものが嫌というほどはっきりと分かるようになって。自分はなんてダメなんだ、自己嫌悪、嫌悪嫌悪嫌悪。胸あたりがぎゅって締められ、言いたいことが吃音みたいに言えなくなる。
「じゃあ少し離れよう、遠ざけよう」って思いながら、近づいていったり。自分というものがどこにあるのか掴めない形のないもののようにスッと避けられる。
写真。あの写真には誰と誰が写っていたんだろう。いつの記憶だろう。不明瞭なところが自分を象徴している。今まで自分を偽って生活していたツケ。1人のことを純粋に好きでいられたことがない自分への最大級の戒め。そんなところだ。黒歴史に溢れた自分の生き方を呪い、何度も死にたくなるけど、僕は生きていくことしか出来ない。ただ生きるって本当に難しくて恐ろしいから、少しでもひっそりと生きていくことが自分にとっての精神安定剤なのだ。もっとそんなこと考えないで楽しく生きていた過去があったはずなのに、いとも容易く忘れている。
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隙間風吹く廃屋の奥の部屋、鍵も何もない。
1枚の写真、モザイク。1番気になるところは夢の中。あれ、何を言おうとしてたんだっけ。
本当の自分ってなんだっけ。夢だって知って安心したけど、じゃあ僕は自分の生き方に誇りを持てるっけ。僕は最近、なんのために頑張って居るんだっけ。やりがい、いきがい、……キチガイか僕は。ナイスガイ。いぇー。
大きなため息をつきながら、毎日が続いていく。それがどれだけ喜ばしいことで、そして絶望的であるかを、まだ僕は知らない。
終わり。
あとがき
忙しさにかまけて自分と向き合うことが全く出来ていなかったのですが、今まで取り繕えてるって思えてるグズな自分に、過去の行動のツケが回ってきている気がして、それを受け入れろなんて傲慢なこと他人に言っちゃいけないよなって思いながら生きていました。だから、全てを曝け出して書いてみようと思ってたらこんな作品になりました。僕が僕を救うためだけに、自分に生きていて良いよって語りかけるためだけに書いた本が世間ではどんなふうに捉えられるのか。そして、きっと、このあとがきを読んでこいつはどれだけ自己中なんだって思ってもらえたら
なお、嬉しいです(笑)
人は今までの人生で体感したことしか書けないっていう作家さんの話を聞いたことがありますが、あながち僕の場合は間違いじゃないなぁと思います。犯罪行為を妄想したり、取り返しのつかないことを思いついたりした時に、それらを吐き出す、頭を整理するツールが僕は小説なのかもしれないです。自己中野郎ですね。(苦笑)
読んでいただきありがとうございます。
読んでくださった皆様の幸福をお祈りします。
今後ともよろしくお願いします。