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空想なんじゃないの


こどものときの大人 なんでも出来て 優しくて 偉い人。
小学生1年生になったばかり、私たちが憧れていたのは、靴箱の1番上に靴を入れる6年生の人たち。
とっても背が高くて、砂埃が舞う中でサッカーをしている姿は、もう何年もそこで戦い続けた戦士のようにきらきら輝いていた。
なのに、いざ自分が6年生になっても、ちっともきらきらしていなくて「こんなもんか」げんなりした。
小学六年生の時に見た中学生はとっても大人で、高校生なんてもう大人じゃん!とか思ってたけど、結局自分がその身になったとて大人でも何でもなかったし、賢くなってなかったし、それどころかどんどん輝きは曇っていった気がする。
幻想を抱いて憧れても、その中に入ってしまったら何もない、からっぽ。

アイドルでも何でも、夢を与えるということは同時にからっぽなんじゃないかなって思う。
そこに意味なんてなくて、こちら側が作り出しているキラキラとか。そこに価値があるのかな。なんて思ったり。所詮人間なんて内臓全部出したらからっぽだよ。物体なんてない。その物体があると信じることが、憧れっていうのかな。
私たちはみんな何かのフリしてるだけだと思う。きっと大人なんて存在しないし、これからも大人概念に向かうことはあっても、それ自体を身体に嵌め込むことはできないんだろうな。

先週、先生にみていただく曲があまりにも出来が悪くて。新学期にも関わらず初回の授業を欠席して、勉強に費やした。(ダラダラしていたツケが回りました。反省)
嫌々ながら勉強していたら本を読む気にも書く気にもなれなくて、大鬱だった。本当はどちらにも時間を使いたかったのに、脳がそれを受け付けなかった。しかも学校の図書館で借りた本の返却日が明日なのに、まだ読み終わってないどころかその本の文に目を通してすらいない。やりたいこともやりたくなくなるなんて、どーなってんだよ。
明日の授業終わったら本を返して、また借りる。祝日なのに授業あるの。一限の90分だけだから許す。

この前好きな人を好きじゃなくなったとか言っちゃったけどさ。
わかんないんだよ、今でも。恋愛の好きって何。
本当都合の良いように相手を解釈しすぎて嘘か本当か分からない。
だってさ、私がひとり食堂で友達を待ってたら、おはようございます、とか言いながらまるで一緒に喋る事を約束してたかのように私の目の前に座ったんだよ。座って鞄から楽譜を広げてニッコニコしながら私に、ここ難しいんだよね。とか指差しながらスマホでわざわざ音源流して話てくるんです。
愛おしい。可愛い。好き。
普段は表情筋皆無で、ほんとにクールなフリしておいてさ。2人だけの時笑顔とか。沼やねん、こっちは。
で、私だけにその表情を見せてくる訳だから調子に乗っちゃって、こちらも全力笑顔で話に共感してたら私が待ってた友達が来て怪訝な表情されました。わたしはこういう時「私興味ありませんけど(ツン……)」みたいなクールな顔して話を聞いていたいのに。
それから同じ授業を受ける訳ですが、チラチラ彼を見てしまうんですよね。クール顔してるかの確認。はい。クールな顔してました。好きー!ってなるんです。どうしたら良いんですか。全てが不確かで勘違いで記憶が厚塗りされたキャンバスみたいになるからそろそろ固まっても良いと思うのだけれど。

今月は万年筆とレターセットを買ってから何も趣味にお金を使っていない。服も、2万円分親に買ってもらった。欲しいなと思っていたハイライトを親が買っていた。興奮気味に大絶賛していて、貴方にも買ってあげるわよ!とか言われたから買わずに済んだ。
何か買って心を満たしたいけど、心を満たせる相応の物が見つからない。
シーリングスタンプで手紙を綴じる動画ばかり見ているうちにシーリングスタンプが欲しくなった。キットならAmazonで安く買えるけど、どうせなら1つの部品ずついいものを集めたいという気持ちがあるのと、揃えたところでもう満足してしまう気がしてしまって手が出せずにいる。綴じる手紙もありません。

和声的に重なる言葉をひとつずつ返せたらいいのにね。埋もれてしまったら偶像になっちゃうよ。

来週は先生のレッスンがあるか分からないけどあったらまた相当酷いものを演奏しなくてはいけないので譜面台に戻ります。

なんとなくプロフィールにTwitterを貼りました。

leben

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