かがやき 日記
目黒川を歩いていたら、宝石たちの眩いひかりが目に飛び込んできて、今日の分のしあわせ、もらっちゃったな、と思った。
なのに、同じ先生に習っている先輩のコンサートを聴きに行ったら4年ぶりに、聴きに行って良かったと心から思える、心臓に突き刺さるような、訴えかける演奏に出会ってしまい、心外だった。
上手い人が、私うまいでしょと誇示して少し技術をおざなりにしてでも雰囲気で演奏を誤魔化して上手く魅せるのは一つの才能だと思うが、それで人の心には響かないし、謙虚な美しい演奏には届かない。作品を伝える、その作品を楽しんでもらう為に頑張ろうと、かたく誓った。そう思わせてくれる先輩は、ほんとうに先輩だった。わたしは悔しい。
授業にて、俺イケてるだろ、と言わんばかりに周りを引き立て役にして自分にライトを照らす好きな人に少し苛立ちを覚えた。
この日記を書いている間に、コンサート終わりの先輩からLINEが来た。疲れているだろうに、文章はどこまでも優しくて隅々まで心がある。
今のわたしには返事すぐに返せる余裕がない。
私が人生において刺激を受けた方とこの間、久しぶりに電話を繋いでお話しすることができた。2回目だったけれど、彼女の声は温かくて、愛が溢れていて、やっぱり大好きだった。人の性格は顔に出るというけれど、それは本当だろうか。多分、人が初めに忘れる「声」こそにその本質は詰まっていると思う。
声色、声のトーン、人それぞれ、魅力が詰まっている。声に乗せられたことばと共に。声にはきっとその人の経験やその人の本音がたからものみたいにたくさん詰まっている。ただ、発した次の瞬間はもうその音は消えてしまうから、誰も縋りつけない。
彼女の声には、咲きたての花弁の柔らかさと同じような優しさが、詰まってる。
明日もきっと悔しい。けどわたしはこの悔しさと生きるって決めた。
私はかがやく作品を作ることができると信じたい。