小さくて安いわたしの「幸せ」は寒い冬をたくさんあたためてくれる
足の先と鼻の先が異常に冷たい。少しでも温めようと、足をもぞもぞさせ鼻を触ってしまう季節がきた。
最近知ったのだが、どうやらわたしは極度な末端冷え症らしい。足の先や鼻の先はもちろん、肩や膝まで冷えてくる。ブランケットを足にかけると肩が寒いし、最近よく見かける着れるブランケットはわたしのために作られたのかと思うほど、重宝している。
こんな時期は、どんな小さなことでも幸せになれる。100円のホットコーヒーでも、大きめのマグカップいっぱいに入れたあたたかいカフェオレも、お湯をたくさん張ったちょっと熱めのお風呂も。
そんな日々にああ、幸せだ。と感じるたび、わたしの幸せって安いな、と思う。
思えば、昔からあまり欲がない性格だった。特に、自分でお金を稼ぐようになってからは、コツコツ貯めてドカンと大きな買い物をするより、今や明日わたしが幸せになれるようなものを選択して生きてきた。
それでわたしは満足だったし何も不満はなかった。もちろん高級ホテルで過ごしたりや高級ブランドのカバンを持っている綺麗なお姉さんを見かけたりすると、ああいいな、わたしもあんな風になりたいなと思うけれど、思って終わり。
だってきっと、幸せが安いわたしが今更そんなものを手に入れたところで、本当に価値が分かるのかさえわからないから。
欲は、尽きないと思う。一度欲しいと思ったものを手にしてしまうと、次これ、その次はあれ、欲が止まらなくなってしまうのだ。
それが怖い。一度手にした達成感が一瞬にして消えてしまったとき、わたしはどうするだろうか。
100円のホットコーヒーなら、コンビニに行けばいつでも手に入る。100円だからちょっと節約すれば、いくらでも味わえる。
だけど、ブランドの財布やカバンはどうか。一度手にしてしまってその素晴らしさを知ったら、次から次へと欲しくなるのではないか。
その度にわたしはこれまで感じていた小さな幸せを我慢して、欲しいもののために必死でお金を貯める。手に入ればまた小さな幸せを我慢して、またそうして繰り返すのだ。
わたしは、好きな人が隣にいてくれるだけでいい。アドバイスなんていらないから、大丈夫だってギュッと抱きしめてくれるだけでいい。電話もメールも毎日じゃなくていいから、声が聴きたくなったら無条件で話したい。
ディズニーランドも沖縄旅行も、何も望まないから、いつもわたしの味方でいて欲しい。
小さくて安い幸せを知ってしまったわたしは、少しだけ自虐的になりながら、だけど今目の前の幸せを守ることに、全力を注ぎたい。わたしの幸せって安いな、って、ぼそっと呟いて笑いたい。
今年の冬も、たくさんの小さな幸せで、心が満たされますように。