一年に一度の金木犀の香りを二度と忘れぬよう
この秋は、思ったよりも雨が多くてなかなか思うように散歩に行けない。今年の夏は人生ではじめて熱中症になって、あんなに晴れの日を恨んでいたのに。人って本当に都合の良いように解釈して文句をつけたり恨んだり、忙しい。
わたしは秋が好きだ。誕生日があるからと言うのもあるけれど、いつも思い出すのは、自分の誕生日を過ぎたあたりからふわりと包み込まれる甘い懐かしい、金木犀の匂いだ。
金木犀とわたしの出会いは、小学校一年生の頃だった。この匂いがあのオレンジ色の花の正体だと気付いたのは、小学校二年生の頃だったけど、確かに出会いはその一年前だった。
はじめて「学校」に通い始めて最初の秋がきた。わたしの机は大きな窓の近くで、すぐ外には緑の木が何本も埋まっていた。その奥に見えるグラウンドを気晴らしに眺めたりしていた。
窓から眺める大きなグラウンドが好きだった。同じ場所でサッカーやらバスケットボールやら鬼ごっこやら、たくさんの人が走り回っている。わたしはそれを眺めるのが好きだった。
まだ、体には合わないランドセルを背負って外に出た。昇降口から靴を履いて外に出ると、風に乗ってふわりと、甘い匂いがした。どこから香ってきたか、それが一体なんなのかわからないのに、わたしは教室の方を見た。
オレンジ色の小さな、小さな花が咲いていて、その木の下には同じオレンジ色の花が少しだけ落ちていた。
翌年一年学年が上がったわたしは、一年前使っていた隣の隣のクラスに通っていた。また、秋がやってきた。
窓の外からグラウンドを眺めていたら、急に外に出たくなった。今日は早めに帰ろう。下駄箱は違えど去年と同じ昇降口から、真新しい靴を履いて、一歩踏み出した。
一年前と同じ、甘く優しい、けれど懐かしい匂いに包まれた。
その翌年、その翌年と、金木犀の木は相変わらず同じ場所に埋まっていたけれど、学年が上がって使うクラスがどんどん上の階になって、使う下駄箱の場所も前とは遠くなって、玄関も変わった。
わたしは、金木犀の匂いを、知らず知らずのうちに忘れていってしまった。
いや、忘れたんじゃない。わたしに余裕がなくなったのだ。金木犀の匂いすら気づかないほど、わたしは毎日を生きるのに必死で、気付いたら夏が終わって寒くなって、年を越して春になる。
わたしの中を流れる時間は年を重ねていくたびに早くなって、置いていかれないように必死で追いかけて、金木犀の香りを忘れた。
だからこそ、毎年この時期はゆっくり歩くことを意識している。少しでも時間があればお散歩をして、外の空気を思いっきり吸う。少しでも、一瞬でも、遠くからふわりと香るあの匂いを、わたしの体の中に取り込みたい。
もう、金木犀の香りを2度と忘れないように。