【1】わたしはきっと、わたしを好きになりたい。
毎日仕事へ行く。
朝の満員電車の中、きっとわたしと同じように「なんとなくの憂鬱さ」を抱えて小さく呼吸をしている人々と。
仕事が終わったら帰る。
「今日もなんとか乗り切った」だなんて、満員電車の中そんな雰囲気を纏って。
ただただ、早く家に帰りたくなる。
「帰宅したら、楽しみにしていた録画番組を観よう」
「そろそろ部屋が散らかってきたから、ちょっとだけ掃除しよう」
「なんだか肩が重いし、今日はゆっくり湯船に浸かろう」
そんなことを頭の片隅で考えると、少しだけワクワクしながら帰宅できる気がする。
けれどいざお家に着くと、何にも出来なくなってしまうわたし。
結局、やりたかったあれこれは明日のわたしがやってくれるのだと自分に言い聞かせ、とりあえずの必要最低限をこなして眠りにつく、今日のわたし。
職場にはとても恵まれている。
何一つ不自由せずに働くことができ、それぞれの人柄が相まって、お互いをリスペクトしているのが伝わってくるような素敵な空間。
そして、家族や友達にも恵まれている。
わたしを大切に想い、わたしを尊重し、何かあったら迷いなく駆けつけてくれるような、温かい人たち。
そしてそれと同じくらい、わたしが「大切にしたい」と想えるような大好きな人たち。
そう。とても贅沢な環境がわたしの周りには広がっていて。
改めて書き出してみると、その現実をより深く実感する。
そんな中、多分、とても大切なこと。
何故だかわたしは、”自分で自分を大切にする”ということが小さい頃からすごく苦手だった。そんな感覚が、いまいちよく分からなかった。
そしてそれと同時に、わたしは自分のことがあまり好きではなかった。
だからといって、それで苦労したのかと言われると、あまり苦労もしていない。あるいは、苦労しているという感覚があまりない。
仮に苦労していたとしていても、わたしの場合、それは誰のせいでもないと思う。
ただただ、そんな事実がある。たったそれだけのこと。
年を重ねるごとに、ぼんやりと「将来の自分はどうなっているのだろう」と考える。
そこには明確な答えはないけれど、将来の自分というのは、今現在を生きる”わたし”の小さな積み重ねによって存在していると思う。
そんなことを考えながら日々を生きるわたしは、頭と心のほんの片隅から、ふと声が聞こえた気がした。
ぽつぽつとこぼれてくる、小さな感情たちの声。
わたしはきっと、自分の人生を、思う存分好きになりたい。
そして自分の人生を好きになるということは、一秒一秒を過ごす毎日のわたしを、目一杯好きになるということ。大きな愛で、わたしがわたし自身を包み込むこと。
”わたしはきっと、わたしを好きになりたい。”
まさにタイトル通りの、わたしの気持ち。
けれど、何をどうすればいいのかはまだ全然分からない。
だからこそ、こうして自分の感情を整理しながらまずは生きてみようと思った。
続くかどうかも分からないけれど。それでもいい。
そんなふうに、自分へ許可を出して。
26歳の、等身大のわたし。