苦しみの度合い
コロナで、秋学期の授業もリモート中心の授業になってしまった。
きっと最後の学生生活なのに、春学期は実習を控えた人のための健康診断に1度行ったきり、キャンパスにも入っていない。3月の頭ごろに、「早く会いたいね」なんて言っていたゼミのみんなにも会えていない。実習は延期になり、学祭もなくなった。今年の就職活動は、3.11の時よりも厳しいと言われている。おそらく例年通りの卒業式もできないだろう。リモート卒業式だけは避けたい。まあ感染者が出てしまっては元も子もないが。
ツイッターで、コロナで高校3年生の1年間がめちゃくちゃになってしまった、と言っているのを見た。リプライではわたしはこうなった、うちの子はこうなった、と、まるで自分の方が不幸だと言わんばかりに口々に叫んでいる大人たちがいた。
みんなつらいよね。
わたしにとって、高校3年生の1年間は特別だった。受験を控えながらも、行事や最後の試合に向かって一生懸命だった。うちの高校で特に盛り上がる合唱コンクールでは、「ちょっと男子~~」なんてことはなく、代わりに男子同士が本気で言い合いをしていた。しかも「ふざけているからちゃんとやれ」とかじゃなく「音が取れていない、練習しているのか」というレベルの言い合いで、女子が慌てて止めに入った。卒業式でもみんなが口々に話すのはそのことだった。金賞で自分たちのクラスの名前が呼ばれたとき、悲鳴に似た歓声があがったのを覚えている。
「みんな、一生懸命だったよね。」
それくらい、みんな本気だった。友達とあんなに真剣に向き合ったのは、あの時が最初で最後だったかもしれない。
もし、今自分が高校生だったら。修学旅行が、合唱コンクールが、文化祭が、体育祭がなくなったら。オープンキャンパスに行けなかったら。もし、自分の子どもがその立場だったら。もし、コロナで収入が減って、生活が苦しくなったら。きっと自分は世界で一番不幸で、ついていない人間だと思うだろう。
でも、どうか、どうかその不幸を他人と比べないでほしい。苦しみの度合いは、人それぞれなのだ。これまでの人生だとか、その時に置かれているコロナ以外の状況とか、そういうので苦しみの度合いはうんと濃くなってしまうことがある。
大学4年生の1年間なんて、もともとそんなに学校に行かないでしょう、と思うかもしれないが、やっと時間が合った実習のための授業はリモート実習になってしまったし、不安な卒論の相談もなかなか気軽にできない。学校の図書館も申請しないと使えない。なにより、友達に会えない。そんなこと、と思うかもしれないがこれが決まった時、私は絶望した。
とにかく、あなたの感じている苦しみはあなたにしかわからないし、隣の誰かが感じている苦しみはその人にしかわからないのだ。比べず、わかろうとせず、「一緒に頑張ろうね」という気持ちを持つだけでいい。
こんなにみんながあがいてもがいている状況で、比べようとしないでほしい。
あのツイートをしていた高校生にはなんと言葉をかけたらいいかわからない。あの高校生が大人になった時、この期間がプラスになるよ、とも断言してあげられない。
もう、あなたは十分苦しんでいるのだから、心によほどの余裕がない限り、周りの苦しみを比べようとする声には耳を貸さないでほしい。本当に、それだけだ。