雑文 #263 祈ろう
夏至の前の夕空が素晴らしかった。
この頃毎日 #雑文 を書いているのは、自分を鼓舞するため。 あまりにも、気持ちが落ちて、不安で、焦って…… でも書くとスッキリするところが大きい。
18時に仕事を終えると19時に部屋で夕焼けが見られるようになった。気づくと明日(日付変わって今日)は夏至だそうじゃないか。 そうかそうか。日がいちばん長い時期なんだな。私はそれをすっごく貴重に感じる。日本一日照時間の短い県に住んでいたせいかもしれない。
今日の夕焼けはすごかったので、見た人、感じ入った人、写真を撮った人、いっぱいいるだろう。大きく大きく広がって、ピンクで青で紫で。雲がどんどん染まって、ああ私は夕暮れ時が好きだ、と心から思う。なぜかホッとするんだ。
ところで二度も行ったくるりの東京ライブ、性懲りもなくライブ配信も観ているのだけど、昨日は興奮してて気づかなった。 けれど、昨日の 雑文 #262 捨てる・捨てないの文章は、ライブ配信を観ていて思うところがあったんじゃないか?
アンコール1曲目に演った「pray」という曲。シングル「さよならリグレット」のカップリング曲だ。2008年発売。私がくるりを好きになって初めて出たシングル盤だったので、うれしくて気に入って擦りきれそうなほど聴いた覚えがある。
「さよならリグレット」「京都の大学生」「ばらの花(小田和正との共演)」に比べて「pray」は地味な曲だ。だからくるりファンの間でも「通好み感」がある。
正直言って私はこれまでこの曲にそんなに思い入れがなかった。「良い」とは思うけど、「ライブで演奏してほしい!ぜひ!」と渇望するほどではないような。なんかピンと来ないのだ。
もちろん岸田さんの書く歌詞だからハッとするところはある。全体的に暗いイメージだけど私は決して「暗い曲」がきらいじゃない(というか大好きだ)。
祈ろう 祈ろう 全部捨てちまいな 金も靴もピカピカのギターも 祈ろう 夢みたいに全部 形あるものすべて全部
昨日、配信を観ていて「pray」がこれまでと違って聴こえた。 その後の 昨日の #雑文 に影響したのだろうか。刺さったのだろうか。私はあり余ったモノを捨てちまいたいのだろうか。そしてただ祈りたいのだろうか。
歌詞の、とりわけこの世の中での「祈ろう」というメッセージはグッと来たが、私はまだこの曲が掴めてない。
ただ、夕暮れを美しんだり、旅をしたり、花を愛でたり音楽に耳を澄ましたら、そんなことをしていたら、私が件の文章で「捨てたいけど捨てられない」と悩んでいたものなんて、どっかにひゅーっと飛んでいきそうな、そんな気はした。