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雑文 #241 進め
桜の花が、毎年ちゃんと咲くのがすごいと思う。
春や、季節は、毎年ちゃんと進む。当たり前のように。
「今年はなんだか咲きたくない…」「今回は進むのパス」なんてことは起きないのだ。決して。
その当たり前がないと、時間というものは先に進まないのだけれど。
10年前の大地震の余震というものが、近頃東北で頻繁に起きている。どれもでかい。
あれだけ大きな地震だったから、10年経っても大きな余震が起こることは素人の私でも何となく理解できる。
これも前に進む過程の出来事なのだろうか。
と同時に、10年前のトラウマのようなものに捉われる人も少なくないだろう。
思い出したくない過去や、忘れちゃいけない過去。
花は咲き季節は進むのに、私の想いの大半は過去に馳せられる。いい意味でも悪い意味でも。
例えば震災のとき私は秋田にいて、母と居間でボーッとしてた。
揺れが大きいので、外に避難したほうがいいと咄嗟に感じ、その時一緒にいた今は亡き愛猫を逃さずに外に出なきゃ、と思ったと同時に母は3階の納戸まで猫のかごを取りに走ってた。
私は愛猫を抱っこしながら外に出て、母は片手に猫のケージを持って立ち尽くす。
近所の人たちが出てきて、呆然とした中わいのわいのとなる。
元気だった。母も猫も。
猫はやがて老衰で亡くなり、母は現在入退院を繰り返してる。
震災の日は実家に家族が続々と集まり、停電の中ラジオのニュースで太平洋側の状況に怯えながら、皆同じ部屋で暖を取りつつ眠れない夜を過ごした。
翌日昼過ぎに電気が戻り、座椅子でうとうとしていたところ、原発爆発のニュース。
アナウンサーが騒いでいて、寝ぼけ眼の私は嘘だと思ってしまった。何かの間違いだと。
そうでないと気がついて、大変だ大変だと階段を駆け下り居間に転がりこんだ。
地震から日が経つにつれ、不安はより一層深いものとなっていく。
あの揺れたとき、東京も秋田も揺れたとき、携帯が繋がりにくい状況だったが最初に連絡をくれたのはその頃盛んにメールをやり取りしていた友達だった。
西の方にいたので、揺れの状況は分からなかったようでひとまず「落ち着いて行動してね」と声掛けてくれていた。
その後、元配偶者からの連絡があった。東京は揺れたけど大丈夫だとのことだった。
私は真っ先に彼から連絡が来なかったこと、今思えば不満だったな。
それより真っ先にメールをくれた人は、いまや疎遠になってしまっている。今頃どうしているのだろう。
あれからいろいろ変わった。
あの震災の影響だけではないと思うが、変わったことは事実である。
被災地が何度も七転び八起きしながら前に進もうとしている。
その姿勢が眩しい。
私は思い出すことばかりだ。
未来を思い描くことはなく。
日々過去のことが頭をもたげる。
季節は否応なしにきちんと進むのにね。
桜はもうじき満開になるだろう。
毎年同じように、風に乗ってきれいな花びらを散らし、あっという間に初夏になることだろう。
桜について、お花見についての思い出も山のようにある。
思い出は得てしてきれいに濾過されるから、私はついそれらをひとつひとつ思い出して眠たいような心地良い気分になるが、一方の私が進め、振り返るばかりじゃなく前を見ろ、と言っている。
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