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雑文 #128
noteにそぐわないような日記を書きます。
連日報道されている森友問題について。
というか、この問題への関心の有無について。
私は関心があります。
「政治なんかに興味ない」とか言っていたほうが格好がいいのかもしれませんが、格好悪いことに私はとても関心があるのです。
思えば政治や社会問題に本当の関心を寄せるようになったのは、30代になってからでした。それまでは他人事だと思っていた気がします。
森友問題について「どーでもいい」「そんなことより解決すべき問題があるのでは」という声もちらほら見聞きします。
きっと私が政治や社会の問題を他人事だと思っていた頃は、そんなことを言ったかもしれません。
でも、いまの私はこの問題が見逃せません。
問題の本質が魔物のように潜み、見え隠れしているからです。ただの、おかしな考えを持った一理事長の暴走でもなければ、間抜けな総理大臣妻の問題でもないのです。その奥深くに日本の抱える問題が埋もれているのです。
社会構造。築き上げるのに長い歳月を要します。
それが歪んでいくとき、修正を加えるのが政治の役割ではないでしょうか。
ところがさらに歪めようとしているように私には見えます。
森友問題が、薄暗い、奥深い日本の局部を抱えているということは、報道が始まった2月中旬頃から私は感じていました。
危険を感じ取る感度。それもひとによって警戒レベルが違うと思います。
外国人記者がいちばん的を射たことを言っていました。
外から見ておかしいこと、というのは、中からしか見えない人にはハッとさせられるものです。
「壁と卵があったら、いつでも卵の側に立ちます」
村上春樹のこの言葉を私は噛みしめるばかりです。