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雑文 #138

私はとくに音楽の勉強をしたわけでもないただのいち愛好者だけれど、今日は「自分はわりと聴く耳を持っているんじゃないか」と自画自賛してしまうことがあった。

昼前にツイッターをチェックすると、敬愛する岸田繁さんが「素晴らしい」と何かのURLを貼り付けてあった。
それはコーネリアスの音楽だった。

私は世代と言えば世代。若き頃、「渋谷系」と呼ばれる音楽が流行っていたのは知っていた。
けれども私は全然興味を持てなかった。
そのまま苦手感を抱えて現在に至る。

その頃と違って俄然日本の音楽に興味が増した現在。
私は小山田圭吾さんがゲストで来たライブを観た。かっこいいお兄さんだったし、ギターの腕は素晴らしかった。

そして今日、公開になったコーネリアスの「あなたがいるなら」という曲をふとyoutubeで観てみる。
度肝を抜かれた。

https://m.youtube.com/watch?v=Hgel5HLe_sU

とにかく音がいいのだ。
パソコンで、youtubeのサウンドで、すでにものすごく音がいい。MVがやたらかっこいい。何度も何度も聴いてしまった。まるでファンのようだ。
私が思っていた苦手系な渋谷系的要素はなく、R&Bのような、ああ私は音楽のジャンル分けは苦手なのだ…わかんない。とにかくかっこいいからいいじゃないか。
渋谷系よりずっとおしゃれだ(ごめん渋谷系の好きな方々…あの頃秋田の田舎もんにはあれは妙に都会的すぎて引いたようだ)

私はホッとしたし、少し混乱した。

この頃「日本の音楽はくるり以外もういいかな」と思う私がいた。
もともと好きじゃなくて、かなり大人になって好きになって聴いて、そうして10年と少し経って一巡して、私には自分の好きな海外の音楽とくるりだけでいいのかもしれないと感じる今日この頃で、つまらなくもあるし淋しくも思っていたのだ。
けれどもここ数日、若い日本のバンドを掘っていた。久しぶりに新しい音楽を聴いてみていた。
そして発見があった。いい曲があった。とても好きな曲があった。元気をもらった。

しかし、彼らのライブを観に行くのはどうだろうと思う自分がいた。どこか客観視している自分が。客層が若いだろうというのもある。でもそれだけではないようだ。だがなんだかわからない。喉に小骨が刺さったよう。

コーネリアスを聴いてそれが何かわかった。「音」だ。

私が気に入った若いバンドの音は、正直良くない。
経験もあるだろう。まだ機材も揃えられないことだろう。仕方がない。でも本当に仕方がないだけなのか?

音のひとつひとつへの飽くなきこだわりと探求。
素敵な音を出す力(おそらくその裏にはすごい練習があるだろう)

曲がいいだけではだめ。音も良くなければ。
私はそんな贅沢もんになっているのか…楽しめる音楽が限られちゃうな。やな感じだし。

とか思っていたが、今日一日ツイッターで私がフォローしているミュージシャンが次々とコーネリアスのその曲への賛辞を書き込んでいるのを見て、ああ私の耳はなかなかなんだとうれしくなった。

もちろん若いバンドの勢いとパワープレイは瑞々しいものがあるが、私はいい音を聴きにライブに行きたい。
CDで聴いて気に入って、ライブの音でがっかりしたくない。

くるりの音はいい。
ライブのほうがいいと思わせるのが本物だ。
いますごく流行っている〇〇とか、食いついてアルバム買ったものの、くるりを聴いたあとはバカらしくなって二度と聴いてなかったものだ。
そういう自分が、一方ではいやだし、他方でコーネリアスの音の良さを感じ取れたりするのは幸せなことじゃないかと思い、少し混乱するのであった。

#音楽 #コーネリアス #散文 #エッセイ #雑文

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