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雑文 #107
霰が降ったり雨になったりほんのちょっと晴れたりみぞれや雪が降ったりする不安定な時期。
霰がぱらぱら傘に当たる音と感触は気持ちがよくて好きだ。
実は、実は…
ファンになってからおそらく記録的にくるりのCDを家のステレオコンポにかけてない。
「くるりのこと」も読んでない。
ここnoteやTwitter各種ラジオなど最新情報を得ることに努めてはいるが、くるりの曲はラジオとウォークマンシャッフルで流れたときしか聴いてない。
ここ8年くらいの中でありえない事態に自分でも驚き中。
ただ、岸田さんや佐藤さんがラジオなどで紹介する音楽はめっちゃ聴いてる。
全部は買えないけど、いちばんのお気に入りはアヴァランチーズの『WILD FLOWER』で二番目はこれ。
http://tabioto.com/blog/chassol
一般的にばっさり言えば「変な音楽」なのかもしれない。
これは最近の作品だが、マルティニークというカリブ海の国の出身の人の音楽で、私は思えば相当変わった趣味なのかもしれない。
自分のことを「変わってる」と言うことはきらいなんだけど、今晩くるりがかけてくれた古いベネズエラやブラジルの音楽に激しいノルタルジーを感じ胸がキュンとなった。
それはそういった俗に言う民族音楽に10代20代の頃触れていたから、キュンとなるのも仕方がない。
あまり思わないことだが、あの頃に戻りたくなった。今夜は、激しく。
その頃も友達の誰とも共有できなかった趣味だが、それなりに自分で楽しんでいた。
インターネットもなく漁るのが苦労なぶん情熱的だった。
唯一一緒に聴いていた妹はそういった音楽の研究家となった。
近ごろ『Cu-bop』というキューバのミュージシャンのドキュメンタリー映画を友人と作った。
NHK-FMで毎月放送している「くるり電波」は、高校時代妹とラジオにかじりつき、カセットテープに録って繰り返し聴いていた音楽の番組を思い出し胸がぎゅっとなり懐かしさで涙が溢れそうになる番組だ。
思えば世間がやれ小室だやれバンドブームだ渋谷系だ、歌謡曲だと言っていた時期にそんな音楽聴いてた私の趣味はあまりにニッチすぎる。
けれども私見だけどもそういう音楽の演奏や作曲、リズム、文化の混合やノリなどのレベルはすごかったんだと思う。
少なくともテクニシャンであることはライブに行くと恍惚として、身に沁みた。
私はあるとき雷に打たれたみたいにくるりが好きになって、ロックを知って世界が広がり、夢中で追いかけ8年くらいかけてぐるりと一回りしたのかもしれない。
こういう経緯でくるりファンになったという人は見つけづらいしそもそもいないかもしれないし、いたとしてもそういう人って孤独に1人で漁っているのかもね。
ちょっとさみしい。
好みというのは雨や霰やみぞれや雪のように少しずつ形態を変えるけど、でも本質は同じ水でできていてそうそう変わらないんだと思う。
岸田繁交響曲第一番、私は好きになる自信がある。
もしかしたらそのために、それに心を集中するために、無意識にくるりのCDをかけないのかもしれない…!
ところで上のChassolの曲には、原始的なメロディのリフがとにかくある。
私はリフが好きなんだ…‼︎と改めて気づいた。
同じメロディが繰り返され、それが少しずつ丁寧に巧妙に展開され、大団円になっていく。
日本の現代のロックにはあまりない(気がする)
だがくるりの曲にはザクザクある。
「HOW TO GO」「かごの中のジョニー」「背骨」「ロックンロール」…
グルーヴもサイケデリアもエモーションも物語も感じられない音楽を聴くのは時間の無駄だ、と突如として今日思った。
それと同時に、私は音楽の趣味に限らず、為にならない時間を過ごしすぎてる、とも思った。
くるり電波でチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の一楽章を聴いたがとても好きなメロディだった。
あれもリフだった。
クラシック音楽もリフだ。
岸田繁交響曲初演を観に行ったら、感動とともに己のダメさにカツを入れられる予感がしている。