雑文 #302 3.11以降
11年前の3月11日14時46分頃、私は母と秋田の家の居間にいた。
何ということもなく、ぼんやりソファに座っていたと思う。
私は無職で主婦もやらず親の世話になっていて、要は療養中の身であった。
療養もずいぶん長引いていて、途方に暮れていた。
やることもなくぼんやりしていたら、突然激しく地が揺れた。
父は仕事に行っていたのだろうか。私は母とふたりきりだったが、「猫を守り、外に出る」べきだという思いは一致していた。
母は火事場の馬鹿力みたいなのを発揮して、3階の納戸に猫のかごを取りに行き、私はトランジスタ・ラジオを掴んで猫を抱いて、ふたりで外に出た。
たくさんの隣人が外に出てざわざわしていた。
私はラジオにかじりついた。
太平洋側に大津波が来たのだ。
観測される津波の高さは、どんどんどんどん高くなっていく。
停電してた。
携帯に何件かメールが来た。
わらわらと家族(妹の家族とか弟とか)が自然と家に集まってきた。
信号機は止まっていたと言う。
停電でテレビは観られなかったが、弟が車の中で観た映像は信じられないものだったと言う。
寒い夜、ストーブが点かず、皆で身を寄せるように眠った。
私はほとんど眠れず、依然ラジオにかじりついていた。
夜が明けて、昼過ぎに電気が復旧し、私は個室で仮眠を取っていた。テレビを点けっぱなしにしていたのだが、何やらひどく騒いでいる。
どうやら原発が爆発…?嘘でしょ?夢うつつに思ってまた眠ろうと思って、二度見したときの現実への衝撃は忘れられない。
誰しもが日常を大切に生きなくてはと思ったはずだ。
私は2012年、ようやく仕事のようなことを始めた。
妹家族の経営する店に通い始めた。
いま思うと楽しかった。
いろんなことがあった。
私は比較的日々を大事にするように、生活していたように思う。
療養生活から、復帰生活へと変わっていく。
好きなことに身を投じたり、ひとりで旅もしたりして、だんだん元気になっていった。
山や谷はあったけれど。
2018年、私は東京に転居することになり、ずいぶん久しぶりのひとり暮らしを始めた。
新しい暮らしに適応するにはいろいろしんどいこともあったが、それでもがんばっていたし楽しいこともあったように思う。
生活にもすっかり慣れ、悩みはありつつも何とかやっていけてたその頃…
世界はコロナ禍になった。
私はその初期、ずっと気張ってがんばっていたけれど、去年の夏頃からだろうか、じわじわと調子を崩していった。
そうしてどん底みたいな今に至る。
元気だった頃の自分がうらやましい。
私には何もないのだ。
私には何もないのだ。
いまの世の中は、疫病・戦争・そして迫り来る大不況。
日本では平和そうに見えても、裏で悪夢が巣食ってる。
桜が咲いたり、風がそよいだり、ベランダで植物を育ててみたり、たまに神社に行ったり、ただぶらぶら街を歩いてみたり、そういう些細なことを、どうして楽しめなくなっちゃったんだろう。
大震災の後から私はもう一度やり直すべきなのか。
それとももう遅いんだろうか。
もう遅いとは思いたくない。
まだそうとは思いたくないんだ。