066.コアラのマーチ [Dy ジスプロシウム]

コアラのマーチは当然、3月にやってきた。1984年のことである。

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コアラのマーチは、コアラにとって苦渋の決断だった。

ある夜、長老コアラは、長い夢の中で恐るべき未来を見た。それは、ジンルイによるコアラ滅亡の未来だった。ジンルイはその誕生以来、地球でほしいままに権勢を振るい、動物たちはそれにあえぎ苦しんでいた。もはやこのままではおけぬ。長老コアラは、地球に平和をもたらすため、ジンルイに対抗する作戦を打ち出した。

長老コアラは、優秀なる補佐コアラ2匹を呼び、作戦のあらましを告げた。2匹は息を呑んだ。ユーカリを食べる手も止まった。それは、宿敵ジンルイの意識体への侵入を試みるものであった。

この作戦は、「コアラのマーチ(コードネームK3)」と命名され、秘密裏に進められた。

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家をこわし、舟をつくれ。持物をあきらめ、おまえのいのちを求めよ。品物のことを忘れ、おまえのいのちを救え。すべての生きものの種を舟に運びこめ。

おまえがつくるべき舟は、その寸法をきめられたとおりにせねばならぬ。その幅と長さとをひとしくせねばならぬ。

そうして七日目に舟は完成した。


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六角柱の箱舟に集められたのは、若き精鋭コアラ達だった。彼らはユーカリを片手にのんびりとくつろいでいた。持ち寄ったユーカリを交換する者、食すべきユーカリをじっくり吟味する者、うたた寝をする者もいた。

しかしその穏やかな空気は、指揮官コアラの登場によって一気に破られる。ユーカリは取り上げられた。代わりに手渡されたのは楽器だ。

「我々はこれより、マーチングバンドを結成する」

指揮官コアラは、厳かに宣言した。

それはジンルイの意識体(ビスケット体)に、マーチングバンドとして侵入することを意味した。コアラのままでは当然、侵入は阻止される。無害で楽しい音楽隊として友好的に振る舞うことで、警戒を解き、隙をつくるのだ。

若きコアラ達は、12匹編成の楽団を組んだ。そして、それぞれ割り振られた楽器演奏に集中した。奏でる音の振動で、まずは液状のチョコレート体に変化する必要があった。それだけなら容易いが、ジンルイのビスケット体に侵入した後、再び固体化しなければいけない。それも、12匹すべての自我を再構成した形で。

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楽団員に必要とされたのは、ダブルシンク、つまり二重思考である。

自らがコアラであることを信じながら、また、コアラではないことを信じる。相反し合う二つの信念体系を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら、双方ともに正しいと信じる。それが二重思考だ。

通常なら、液状のチョコレート体に変化した時点で、コアラとしての自我を失ってしまう。その状態でジンルイに侵入しても、単なる養分としてジンルイに沁みこんでしまうだけだ。コアラのままでは侵入できないが、コアラでなくなっては意味がない。そのための二重思考であり、思考訓練だった。

当然、楽団員たちは混乱した。異常をきたすものも現れた。コアラ精神を保ちながらチョコレート体でいることは、並大抵のことではなかった。しかも12匹すべてがその状態を安定化させなくてはいけない。そこでは1匹の欠けも許されない。厳しい訓練は続いた。

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そしてなんやかんやあって、コアラのマーチはジンルイへの侵入に成功したのだ。

ジンルイがコアラに抱く親しみ、愛情、それらはコアラたちの類いまれなる努力により創造された。


忘れないでほしい。

コアラは毒を食らうマモノであるということを。それはすでにジンルイのコアに住みついている。耳を澄ませば、K3の奏でる音楽を聴くことができるだろう。その音を聴く時、ジンルイの肉体はマーチのリズムに乗って踊り出す。


もうすぐこの街にも、本物の3月がやってくる。

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