呪いと祝い
お化けなんて無いさ、
お化けなんて嘘さ
と言う歌がある。
UFOなんて無いさ、とか、ユーマなんて嘘さという歌は知らない。
だけどちょっと、だけどちょっと悪魔、怪力乱神 はてさて。
ただ、呪いは存在する。
反対に祝いも存在する。
ありがとうと言われれば嬉しい。これは祝いだ。
ばかやろうと罵られれば苦しい。これは呪いだ。
呪いで有名なのは「丑の刻参り」。これは儀式の最中に、決してみられてはならぬという。それはそうであろう。誰かにみられてよければ、呪いなどと言う陰湿な方法はとらない。張り手の一撃でいいわけだ。
しかし、同時に呪いはみられなければならない。
それは、自分を呪っているという証、すなわち、五寸釘の刺さった、対象の定かな藁人形を、対象が見つけなければ成立しないからだ。対象の周辺でもよろしい。伝聞でも十分呪える。
つまり、呪いとはすこぶる嫌な気持ちのことだと思う。
なんだ、ただの嫌な気持ちかと軽んじてはならない。こうじれば神経症にもなる。
対して祝いはどうだろう。
これはすこぶる気分のいいことだと簡単に考えてみよう。
人は功名心のために、人生を捧げることもある。
こう考えれば、祝いもたいしたものだ。
皮肉に言えば、祝いも呪いの一種なのだろう。
呪いを受けたときの対処法を教えましょう。
呪い返しをするのです。
1、より強い呪いで対抗する。
藁人形を見つけたら、その隣に一回り大きな藁人形を釘でさして、隣の奴をめちゃ呪うとかいておきましょう
2、祝いで打ち消す
藁人形になんかめでたいシールでも貼りましょう。
3、お勉強する
神は死んだ!神が死ねば呪いも死ぬでしょう
意識は電気信号だ。呪いも気の迷いでしょう
西太后は長生きだ。この世界は呪いだけでは、人はうんともすんともいわないらしい
祝いに対する防御もおしえておきましょう。
1、防御なんてしなくていい。