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バクティ(信愛)

ふと思い出したこと。

ギリプラダクシナをする前に、バガヴァーンのお写真に祈りました。

「祝福してください」と。


祝福を祈ったことってそれまでになかったのに、なんでそれが出てきたのかな。

日本だと「何々でありますように」と祈ることが多いし、それまでにインドの祈りについて特にどう祈るべきかとかも考えたことも、そうしようと思ったこともないのに。

自然にそう祈ってました。

ギリプラダクシナが成功しますようにではなく。

ただ

祝福してください

と祈りました。

そして確かにハートに祝福を感じたのです。

サマディホール


昨日の空


少し前に図書館で「バーガヴァタ・プラーナ」という分厚い本を借りました。
しかも上、中、下。

そんな分厚い本を借りたのは、その本がバクティについて書かれているから。

Twitterで見かけたその本の抜粋で

信愛があれば解脱すらどうでもよくなる

的な言葉を見て、気になったのです。


じっくり読むのは無理で、パラパラと読むだけになってしまったけれども、心に残った部分がありました。

正確な言葉は忘れちゃったけど。

それは

五感を満たそうとするより
最高存在に瞑想する


的なことでした。


うーん、最初から最後までうろ覚えすぎる・・・




思考が活発になるのは、個人の収縮が強い時で、それは苦しくて。


個人の感覚を強めるのは何?

五感?
身体?
思考?


バガヴァーンの臨在にある時には思考は浮かばず、至福だけがあって、それは五感によるものではないし、それよりずっと微細で平安。


そこから離れない努力だけが必要だと思うまでにずいぶん時間がかかり、気づいてからも、忘れて巻き込まれて強烈な反応が出る度に思い出すの繰り返し。

 

「内なる高次の力を目覚めさせて、それを養うならば、他のすべては神秘的に展開する」

ラマナ・ペリヤ・プラーナムより


外側のこと、自分でなんとかしようとすると、ややこしくなることたくさん体験済み。笑

もういいでしょ。

同じとこグルグルまわるのは。


ハートに瞑想しよう。

バガヴァーンの祝福を祈ろう。



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