やばい
語彙が乏しい。
やばいに頼りすぎている。
SNSでも会話でも何かとやばいを多用している。それがとても嫌でやめたいけれど何に言い換えればいいのかすぐに答えがでない。
長い文章になると読みにくかったり、テンポ感だったりを気にしたり、感じたままのスピード感で勢いで投げたいから、わかりやすくて速い言葉を選びがちになっているのかもしれない。
え~やばいね~。
これにどのような意味が込められているのか。
凄い。も同じような使い方をしている。
何が、どのように、どうして、やばいのか。
例を挙げよう。
ケース1好きな音楽について話すとき
「この曲やばい」
ケース2大変な問題が生じたとき
「やばい、どうする」
やばいは導入に過ぎないのかもしれない。いわゆるタイトル。先に溢れ出る感情をやばいに込めて冷静さを取り戻そうとする。
ケース1の音楽を聴いていきなり「歌詞はこういう意味が隠されているということをコード進行が表わしているんだ。ベースが2番に入るとメロディーを追う動きになっていて曲をより盛り上げているね。」などと言われると、ちょっと待って。となるだろう。そんなにすぐ処理できないだろうし、大量の情報を整理したくなるだろう。それをするためにまず「やばい」で漠然とした感情を吐き出す。ケース2も同じようなことが言える。起きている問題の大きさによるが、予期せぬことが起きると多少なりとも焦りが生まれるだろう。すぐに解決策を言える人は少ない。私は無理だ。「やばい」を言う間に状況整理と解決策の思案を進めているのではないか。
このような役割を担っていると考えると「やばい」に感謝したくなる。「やばい」は無限大。
そうはいっても、その先に感情や感想、考えを伝える必要がある。やばいで終わっていては何も進展がない。
そのためにはやっぱり語彙力や文章力を向上させねばならない。一朝一夕でできるようなことではないから、焦らずじっくり自分の感情と向き合って、言葉を知って、それを繰り返すしかないんだろうな。
という訳で今年はたくさんNoteを書こう。