【漫画_感想・考察】少女終末旅行②

さて、前回の続きです。
今回は、チトとユーリの愛車・ケッテンクラートについて考えていきます。

ケッテンクラートについて

今まで様々な作品に触れてきましたが、ひとつの乗り物との別れで涙が出たのは、ONE PIECEの「ゴーイング・メリー号」のエピソード以来でした。そのくらい、ケッテンクラートはこの漫画において大切なもの。そして、この漫画を語るうえで、欠かせない存在。別れのエピソードである「喪失」読了後のなんとも言えない感情は、その裏付けにほかなりません。

そうそう、こういう乗り物


まずは、この終末世界における乗り物の重要性について考えていく必要があると思います。

そもそも、動いているものがとても珍しい世界です。ケッテンクラートのほかに登場する動くものは、ロボット、昇降機、AIのあのひと…道具を除いてしまうとその数は本当に僅かです。車や自転車は登場せず、カナザワはバイクに乗っていたようですが、壊れたと明言がありました。人類が行きたいところへ自由に行くための移動手段は、ケッテンクラート以外に登場しないのです。

(イシイの飛行機はちょっと例外だと思っています。これについては、このあとの投稿で個別に考えていく予定です。)

チトも終盤になって気がついていましたが、こどもであるふたりがあの終末世界を生きていられたのは、ほかでもないケッテンクラートのおかげです。長距離移動なくしては、食料も得られない。それに「寒さ」というマイナスアビリティが追加されたあの世界において、拠点でも持たない限り素早く移動できないことは、それすなわち詰みを意味します。

移動手段を持たないカナザワも、飛行機に失敗したイシイも、それぞれの形でゆるやかに詰んでいったのでしょう。それが容易に想像できます。

では、ここからが本題です。
そんな終末世界を生きた彼女たちにとってのケッテンクラートとはどういった存在だったか、という部分について考えていきたいと思います。

少なくともチトは、序盤から愛情を持ってケッテンクラートに接していたように感じます。またユーリも、ずっとケッテンクラートに乗って移動していたのですから、当然思い入れがあることでしょう。そんな中、ふたりのケッテンクラートへの想いが特にわかりやすくあらわれているのは、ケッテンクラートとの別れの時にとった行動、最後に贈った言葉だと思います。

チトは、寿命を迎えたケッテンクラートのエンジンを取り出して、お風呂として使います。チトにしてはずいぶん突拍子のない行動に思えますね。その行動の核は、移動手段としては寿命を迎えたけどそれでもまだ限界まで一緒にいたい。ただ乗り捨てるのではなく、最後の最後まで使って、それからお別れにしたい。そんなケッテンクラートへの愛だったのではないでしょうか。

お風呂に入りながら、栓が外れたようにわぁっと泣き出すチトとそんなチトにそっと寄り添うユーリ。見開き1ページを大きく使って描かれたこのシーンは、切なく、そして作品を通して感じられる独特のもの悲しい美しさが特に際立って、とても印象的です。

泣き止んだころ、依然お風呂に入りながらチトはユーリに「さっきの歌」を歌うように頼みます。その歌は、きのこたちの「終わりの歌」のことでしょう。寿命を迎えたケッテンクラートのエンジンを抜いてお風呂にして、そのお風呂に入りながら歌う「終わりの歌」と残り1本の「びう」。これは、ふたりに今できる最大限の「お別れの儀式」にほかならないと思うのです。

全てのものが終わりに向かう作中、終わりの瞬間がわかりやすく描かれたのはAIのあの人と、ケッテンクラートのふたつくらい。そして、ふたりが意識的にお別れの準備をしてキチンと終わらせてあげたのは、ケッテンクラートただひとつです。

「今までありがとう…」

少女終末旅行6巻 83頁  

チトは、「さようなら」ばかりの終末世界でケッテンクラートに感謝の言葉を贈りました。ユーリもきっと、同じ気持ちだったでしょう。

このような特別な描かれ方から、ふたりにとっても、物語にとっても、ケッテンクラートが非常に重要なキーであったことは、多くの読者に少なからず伝わっていることと思います。

ここまで考えて、ふたりにとってケッテンクラートはどのような存在だったのか、という部分を再思考。私の中に、答えがスルっと出てきました。

ふたりにとってのケッテンクラートとは、ふたりぼっちの旅の中にいたもうひとりの仲間だったのだと思うのです。

生命線という意味での重要性もあったことに違いはありませんが、終末世界で出会い、共に歩み、その道半ばで寿命を迎え、終わりのときはふたりによる最大限の「お別れの儀式」をもって丁寧に弔われました。これはもう、ただの乗り物としての扱いを超えていると思います。そういった点から、客観的に見ても、ケッテンクラートがふたりの旅における仲間だったと言って遜色ないでしょう。

そんな大切な仲間であったケッテンクラートの喪失を経たふたりは、終わりに向かって文字通り歩き出します。そして、このエピソードを機に、ふたりの旅の雰囲気がガラッと変わります。その変化と、いよいよ終わりを前にした「絶望」が少女終末旅行という漫画の1番大きなサビの部分であると私は考えます。


今回はここまでです。
次回は終わりに向かうふたりの変化を軸に感想・考察を投稿する予定です。


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