資本主義社会ということ
100分de名著の『資本論』の回が非常に売れている?
ということでミーハーな親が、本屋さんの陳列戦略にひっかかって買ってきた。
まだまだ全部読んだわけではないけど、自分が少し感じていた違和感が説明された気がした。
少し書こうと思う。
**
違和感を抱き始めた時のこと
ある会社のビジネスコンペのための新商品プランのプロジェクトを手伝ったことがある。
新しいニーズを見つけて、モノやサービスとして提供できる計画を作ることがそのプロジェクトのゴール
と、いうことは何らかの商品を生み出せるような顧客を見つけ出す、あるいは顧客の潜在的な見えていないニーズを生み出すということ。
ニーズ調査という名の少人数に対するかなり深いコミュニケーション。
そこで出てきたニーズは果たして本当に必要なものなのか。
特に食品に関するニーズって、、ふと我に返ると違う気がしてきてしまった。(あまり詳しく言えないのがもどかしいところだが)
例えば、お菓子メーカーや冷凍食品メーカーが生み出す新しい商品。それが本当に必要な商品なのかといわれると最近の新商品に関して
「そうとも言えないのでは」
というのが私の思っているところである。
”健康的な” ”人生100年時代における”
なんて余計に食品メーカーはそこに本当にコミットできてるのか疑問に思うことがある。
わからない
とはいえ、わからなかった。この違和感が
なんでこんなにも新商品を世の中は生み出しているのか。
よくよく考えたら、それが売れるように社会を動かそうとしているのはそれを生み出している人たち。
それらにそそのかされなければ別に購入しないかもしれないし、いらなかったなとなるかもしれない
(便利になるかもしれないけど、便利になればいいのかもよくわからない)
そんなことを考えていた。
『資本論』を読み解く話の入り口を読んで
現在100分de名著の第1回分しか読んでいないが、私のこの違和感は少し解消された、、気がする、、
物象化の世界:人間は資本主義経済という自動装置の歯車としてしか生きられなくなっている
(「価値」のためにモノを作る資本主義のもとでは立場が逆転し、人間がモノに振り回され、支配されるようになる=物象化)
なるほどね。確かに今は何でもお金を払って享受する感がある。それはそういうことだったのかと
社会の「富」:コモン(共有財産)は貨幣化した交換対象の「商品」となっていった。
はっ!それかっ!という感じだ。
「売れる」から作る「商品」その感覚が違和感をすごく抱かせていたのかもしれない
まとまってないけど、、現段階の把握を残しておこう
続きも読んで、斎藤先生の結論を見てみなければと思った。