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小説「流血」1 -①桃々れもん著

             1ー①
 三、四限目に性教育の授業があるので、朝から皆の様子が落ち着かない。
あと一週間で夏休みだからそのせいでもあるのだろうが、やはり今のところ関心があるのは三、四限のことだと思う。
 実はクラスの熱気は今に始まったことではない。クラス便りの月予定に、本日、性教育が行われることは予め書かれてあったのだ。そのプリントが配られたときはまず女子のほうから声が上がった。盛り上がったと言ったほうがいいのかもしれない。そのとき、僕ら男子は興味なさそうにしていたが、内心は興味津々だったに違いない。今日のこの雰囲気を見ればわかる。普段話もしない男女が「知ってる」「知ってない」に分かれて話をしているのだ
 小学校でも性教育を受けたが、やはりそれぞれの学校で教え方が違うらしく、知識量が極端に多い学校から来た生徒と極端に少ない学校から来た生徒がいる。多い生徒は少ない生徒に教えたいらしく、そういった意味で朝から賑わっていた。
 僕の小学校はどうかは知らないが、ある程度のことはわかっているつもりだった。だから僕は「知っている」組になるわけだが、今の興味はそんなところにはない。僕は二限の数学の宿題をやっていないのだ。
「お前、何やってんだ」
 クラスが騒いでいる中、机にかじりつぃているのが目立ったのだろうか。いつもは僕が行くのに今日は亮太のほうから寄ってきた。
「見りゃわかるだろ。宿題」
 僕はぶっきらほうに言った。かまっている暇はない。早くやってしまわなければ。
 僕は亮太の顔も見ずにシャープベンを動かした。
「そんなの、今から自力で解くか? 写せばいいんだよ。おい、大内」
 亮太は斜め前の席に座っている大内浩平に声をかけた。
「何?」
 眠そうな声がする。また勉強のために夜遅くまで起きていたのだろうか。
「数学のノート、代せ。できてんだろ」
「できてるけど、たまには自分でやってよね。今日のは難しかったんだから」
「俺じゃない、こいつだ」
 亮太は僕の頭を指したようだ。指されて顔を上げないわけにはいかない。僕は大内のほうを見た。大内はやっぱり眠そうな顔だった。
「ああ、ならいいよ」
 大内は机の中からノートを取り出した。一限から順に整理してあるので取り出すのが早い。
「お前、俺は駄目で、翔ならいいのかよ」
 こっちに来る大内に亮太は不満をぶつける。僕は大内からノートを受け取った。
「だって沢村、いつもじゃないか。なんか要領いいんだよね。僕だけ損してる気がする」
「なんだよ、損って」
「だって僕、一生懸命、真面目に宿題やってきて真面目に授業聞いてるのに、真面目じゃない沢村のほうが頭がいいんだもん」
「あ、悪い。やっぱ、自分で解くよ」
 僕は写そうと思って開きかけたノートを閉じた。なんか大内に悪い気がした。
「いや、写せ。時間がない」
 なぜか亮太が答える。自分のノートじゃないくせに。
「時間はあるよ。急げば」
「お前に休憩時間だけで解けるわけねーだろ。なんで家でやってこなかったんだよ。これじゃ話ができねーだろ」
「お前が貸すからだろ。あれ、クリアするのに夢中だったんだ」
 僕は亮太から借りたプレステのソフトの話をした。
「貸せって言ったのはお前だろ。ま、昔から柔軟性ないからな。よけい時間がかかるんだろう」
 そうなのだ。僕はロールプレイングゲームに弱い。あの文字を読むのも辛いが、何といってもアイテムを探すのが下手なのだ。
「早く写したら? 僕が貸したくないのは沢村だけなんだから気にしなくていいよ」
 大内が僕の代わりにノートを開いてくれる。
「悪いな」
「いいって。高野はいい奴だからな」
「大内、それは俺が悪い奴だって言ってるのか」
 亮太が大内のカッターシャツのえりをつかむ。
「高野がいい奴だって言ってるだけだろ。絡まないでよ」
「なんかムカつくなあ。お前、俺のこと嫌ってるだろ」
「そっちこそ僕のこといいようにしか使わないくせに」
「いいようにって何だよ」
「いつも宿題見せろって言うじゃないか」
「それだけだろ。何か文句あんのか」
「あるよ。僕がやってる間、遊んでるんだもんね。いい気なもんだよ」
 胸が苦しい。僕は本当に大内のを写していていいのだろうか。不安になってくる。
 僕も遊んでいたわけだからな。早く写してしまおう。
 答えだけ写すのだからこの問題がどんなのかはわからない。でも、大内をここまで言わせるんだから相当難しかったのだろう。
「ああもう、わかったよ。これからはお前には借りないことにする。悪かったな」
 亮太はふてくされて大内の服のえりから手を離した。いつも従順だった大内が今日は歯向かってきたので驚いているのだろう。亮太は見た目も言葉もワルっぽいが中身は意外と傷つきやすいのだ。
「おら、早く写せ!」
 とばっちりが僕のほうに来る。短気なとこは相変わらずだよ、まったく。
 そういえば沢村が高野の席に来るのって珍しいよね。何かあったの?」
 シャツのしわを直しながら大内が思い出したように言う。それは僕も思っていたことだった。
 僕の席は窓際の前から三番目で、亮太の席は廊下側の一番後ろだった。かなり前の席にいる僕のところに亮太が来たがるはずがない。
「ああちょっと話があってな」
 亮太は声をひそめた。そして前の席が空いているのを見つけてそこに座った。顔が真剣だった。大内も僕の机の横にしゃがみこんだ。僕はやっと半分答えを写した。
「俺、見たんだ。女の血を」
 唐突に亮太は言った
「血だってぇ?」
 耳元で大内の裏返った声がして、一瞬手の動きが止まる
「そ、その話はやめよう。怖い」
「じゃあ、お前は話に入ってくんな。でも次の時間、この話があるんだぜ。怖がっててどーすんだよ」
「ま、まさか、女の血って……」
「生理のことだよ」
 あっけらかんと答える亮太に対して大内はぶるぶると震えていた。
 やっぱり亮太もこの話題だったのか。好きなんだな、皆。大内は別にして。
「やっぱ、逃げるな、大内。少しは血に慣れろ。それでも中学生か」
「やだよ。お前はあの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ。今度持ってきてやる。お前も経験するといいんだ」
「何の恐ろしさだって?」
「血友病だよ」
「お前、血友病か? でも血友病って血を流すのか?」
「だから、本を持ってきてやるって。それを読め。僕は小三のときに読まされて、それ以来注射と血は駄目になったんだからな」
「そんなもんいらねー。本なんか読めるか。それよりも女の血のことだ」
 自分の席に戻ろうとする大内の腕をつかみながら、亮太は僕の顔を見た。でも僕は顔を上げるわけにはいかない。もう少しで終わりそうなのだ。
「やめようよ。もう朝から気持ち悪いんだよ。僕昨日眠れなかったんだ。今日が怖くて。休もうかと思ったけど、でもずる休みは良くないから……」
 大内は泣きそうな声だった。何にそんなに怯えているのか、僕にはわからないので助けを出してやることができない。僕は血なんか怖くない。
「おい、まだか」
 亮太がノートを覗き込む。僕はやっと写し終えた。
「きたねー字だな。もっとマシな字書けよ」
「うるさいな。はい、ありがと、大内。助かったよ」
 僕は努めて明るく言った。一応元気づけているつもりだ。
「高野ぉ。何とかしてよ」
 大内は本当に泣きそうだった。そんなに怖いのだろうか。
「離してやれよ、亮太。僕が聞き手になるから。で、女のアレがどうかしたの」
「お前、見たことあるか?」
「生理用品ならある」
「当たり前だろ。問題はその中身だよ。本当に血なんだぜ。知ってたか?」
「習ったよ、そんなこと。でも見たことはないかも」
「一度見てみろよ。大量なんだ、これが」
「大量……ってどのくらい?」
「それだよ、俺が言いたいのは!」
 急に大声を出す亮太。なんだかすごく元気に見えるのは気のせいだろうか。まだ亮太に捕まっている大内の顔色とは大違いだ。
 こういうときは何かやろうと企んでいるに違いない。今度は何だ?
「女ってあんなに血を流しても平気で暮らしてるんだ。不思議だと思わねーか」
「生理現象だろ」
「そんなことあるかよ。ものすごい血だったんだぞ。平気でいられるなんておかしいんだあいつら。だから俺は試してみることにする」
「試すって何を?」
「俺はどのくらいの血を流せば死ぬのかってのを」

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