ペラペラになれなかった帰国子女の話。
「えー!
インターナショナルスクール行ってたの!
ペラペラじゃん!!」
そう話したお友達は、小さい頃からの憧れのお姉さんで。
ほんとに大好きなんだけど。
微妙な気持ちになっちゃったんです。
ぜんぜん、ペラペラじゃなかったから。
いまなら、どうしてペラペラになれなかったのか、すごくよくわかります。。。
最初はね、とってもワクワクしていたんです。
なんでかって、私自身が、「ペラペラになれるかも…!!!」って思ってたから。
そのとき私13歳で。
世界のことをなにも知らなかったんですよね。
勉強はそこそこできるし、だいじょうぶでしょ!!のノリで飛び込んで。
すぐにカベにぶち当たりました。
言葉のカベ。
そして、文化のカベ。
「なんであなただけ違うの?」
「なんでわからないの?」
「おかしいよ」
もちろん、直接言われたわけじゃないんです。
でも、私の心にはそう聞こえた。そう届いた。
みんなの行動が、言葉が。
とてもとても、孤独。
自分だけがいつも間違っている。
自分だけがいつもおかしい。
日本では「当たり前」なことが、ここでは「おかしい」。
13歳、14歳。
思春期真っ只中ですよね。
恥ずかしかったんです。
英語話したら、発音違うって思われるかも。文法違うって思われるかも。
“Thank you” って言われたから、
“Your welcome”って返したら、不思議な顔されて。
あっ間違えた!!!
と思って。
何も話せなくなりました。
でも、はやく馴染まなければいけないと思った。
だから、日本の中学校でやってた、「文法」「単語」「リーディング」をひたすらやりました。
一日英語漬けの学校を終えて、精神的にも身体的にもクタクタで帰ってきたあとに、
英単語アプリを開いて単語覚えて。
高校で習う文法を必死にノートにまとめて頭に叩き込んで。
授業で使う教科書と向き合って。
宿題も3時間かけてやって。
切実に日本の高校に行きたいと、心の底から思っていたから、
休日は日本の学校で習う勉強を進めました。国語、数学、理科、社会。
進度も取り扱う内容も、全然違うから。ぜんぶ独学で。
いまだからわかるけど、
ほんと、努力の方向性が間違ってますよね。
これだけ頑張ってるのに、全然しゃべれるようにならないって思ってた。
しゃべってないのだから、しゃべれるようになるわけがないのに。
とても。
苦い苦い思い出。
「親と一緒に留学できるようなもんだよね。恵まれてる」
うん。
恵まれてる。
恵まれてるとは、思うのだけど。
胸がきゅっとなる。
どうして、その人の人生を経験したことがないのに、
見た目だけで、
「苦労してない」「恵まれてる」「幸せ者」
なんて言えるのだろう。
だって、みんな、手に入れたことがあると思うんです。
「ずっと欲しかったもの」「ずっと眩しかったもの」
手に入れたあと、どうなりましたか?
それは本当に、「眩しいもの」であり続けましたか?
たとえば、受験。
必死に受験を乗り越えた先にあったのは、本当に「イメージしていた通りの生活」でしたか?
一人暮らし、恋、結婚、子育て、あこがれのお仕事。
SNSを見ていると、みんなの、いろんな声が聞こえてきます。
「思ってたのとちがった」
「これが大変」
「ここがしんどい」
「こうすれば幸せになれる」
「こうするといいよ」
日々の生活に向き合って、真剣に真摯に誠実に生きてる人の声。
もちろん、手に入れた先に、幸せもいっぱいあります。
だけど、幸せだけじゃない。
キラキラしてるだけでじゃない。
「あこがれ」の向こうには、
リアルな、生ぬるい現実があるんですよね。
それを知っていたから、
一時期は、「叶った先には違う苦労があるから、夢なんて持ってもしょうがない」って思っていたけど。
いまは、「あこがれ」の気持ちも大事にしたいなと思っています。
だからいまの私には、夢があります。
どんな夢かはないしょです。
ペラペラな帰国子女になれなかった人のさけびでした。
便宜上「帰国子女」と言っているけれど、厳密な定義には当てはまらないかも。
期間が足りないかもしれない、途中で逃げちゃったから。
(「なぜ日本人学校へ行かなかったのか」という問いは受け付けません。自分を守るために、その辺りの詳細は伏せます。
日本人学校の存在にも、たくさんたくさん救われました。
海外に住んでいても、日本語で授業が受けられて、日本の教育制度に合った内容が学べる。
とてもとてもありがたいことだと感じます。)
(色んな声を聞きすぎると心が疲れてしまうので、目に入る情報を制限しています。
note を開く回数も、他の人より少ないと思います。
コメントの返信、かなり遅いです。すみません。
でも毎回、とてもとても嬉しいです。
嬉しくてドキドキしてしまうので、メールで note の通知を開くハードルが上がっています……)