見出し画像

元ホームレスで作る『生笑一座』の語りから見えたこと02-台東区ホームレス拒否問題

前編は「元ホームレスで作る『生笑一座』の語りから見えたこと01 -「助けて」が言えない社会」と題して、抱樸の奥田知志さんの講演メモをまとめた。

次に「生笑一座」のみなさんがそれぞれ語ってくださったこと(と奥田さんの補足コメントも含め)を中心にまとめたいと思ったのだが、タイムリーに私が生まれ育った台東区で、ある事態が起きてしまったので、それを中編としてまとめたい。

台東区によるホームレス締め出し

実はこの講演の数日前、台風19号が関東を直撃した10月12日、台東区によるホームレスの避難所拒否という事態が起きた。それは区内のホームレス支援団体のツイートによりまたたく間に広がり、大きく報道されることとなった。

以下は主要な報道や、その後の記事である。ご存知の方は読み飛ばしてください。

海外でも報道された。

これを受けて、安倍首相も「避難所は全員受け入れが望ましい」と答弁を出した。

台東区長も陳謝した。

災害などで不特定多数が同じ空間で過ごす場合は「合理的配慮」を

当初、台東区は「区民以外は受け付けない」などとして拒否した理由を説明していたが、今朝のNHKの朝のニュースでは、区外住民も受け入れていたことが分かった。

路上生活者拒否も区外住民は受け入れ 台東区の避難所
2019年10月25日 5時09分 

東京 台東区が台風19号に備えて開設した避難所で、路上生活者を「区民ではない」という理由で受け入れを拒否した一方、区外に住む人たちを受け入れていたことがわかりました。台東区では「路上生活者に対し、硬直的な判断をしてしまった。避難計画を改めて策定していきたい」としています。

台風が接近していた今月12日の午前、台東区が開設した自主避難所に路上生活者、いわゆるホームレスの男性3人が訪れたものの、区の職員から「避難所は区民のために設置したもので、台東区に住居がないと利用できない」と受け入れを拒否されました。

このうちの1人は、寝泊まりしていた場所に戻るなどして雨風をしのいだものの、その後、体調を崩して1週間ほど入院したということです。

一方、受け入れを拒否した台東区内の避難所では、当日、区外に住む人や他県から来た旅行者などを受け入れていたことが区への取材でわかりました。

矛盾する対応を取ったことについて、台東区は「現場の判断で区民以外の人も受け入れたが、路上生活者に対しては硬直的な判断をしてしまい、申し訳なく思います。今後は、路上生活者も含めた避難計画を改めて策定していきたい」と話しています。

問題となった避難所は、私の隣の校区である。避難所となった学校に子どもを通わせている友人たちはこのニュースを見て「こんな日ぐらい入れてあげればいいのに…」と口々に言っていた。なにしろ「世界史上最大級」とまで言われた台風だ。外にいたら命の危険があることは誰でも分かっただろう。
一方で、台東区の対応は間違っていなかったと、擁護する意見も多く見られた。納税の義務、素性不明の危険性、においや感染症など衛生上の問題、などが理由の大半として挙げられているように思う。
実際、上記NHKの報道では、問い合わせや意見約300件のうち、7割は今回の区の対応を批判するものだったが、残り3割は区の判断を支持する意見だったという。

最近では、災害時の日本の避難所環境の劣悪さも指摘されはじめている。不特定多数の人が同じ空間で寝泊まりすること自体、安全面や快適性などQOLの面からも課題は多い。雨風がしのげればいいだろう、というものではなく、議論の出発点はやはり、その人がその人として尊重される「人権」の視点である。
避難所運営において、設備の不足や衛生面、感染症、犯罪の危険性などは、どこでも起きうることで、それは路上生活者に限らない。また、障害や妊婦、女性、乳幼児や子どもを抱えた家庭、病気の有無など、それぞれの事情があるため、公平にとはいかない。「合理的配慮」が必要となる。今回のように路上生活者を受け入れた場合にも、同じように合理的配慮の視点が必要だったと思う。
他の自治体はどのような対策を打っていたのか、世界の対応はどうか。そこからも学びたい。できることなら、今回の一件を経て、台東区の災害対応は世界でもピカイチと言われるようになりたい。

社会に弾力性がなくなっているいま、「自己責任」で押し切るのはもう無理がある

今回の一件で、私たちは、助けていいいのちと、助けないいのち。いのちの選別が行われたことを目の当たりにした。

これは相模原市の障害者施設殺傷事件を思い出させる。
障害者施設「津久井やまゆり園」で、元施設職員の男が入所者19人を殺害、27人に重軽傷を負わせた事件だ。犯人の男は言う。「障害者は生きていても仕方がない」と。

役に立ついのちと、役に立たないいのち。いのちの間に線引きをする彼自身もまた、犯行の直前に生活保護を受けていたことがわかる。自分が生産性のない存在、社会にとって役に立たない存在であると言うプレッシャーが、「社会のために役立つ自分=役立たない障害者を殺す」という凶行に駆り立てたのだとしたら。

被告と面会を重ねる記者、奥田さんの記事があります。こちらも読んでいただけたら。

私はホームレス問題に特段詳しいわけではないが、社会的養護を出た後の人たちの支援に携わっている。虐待の後遺症やトラウマを抱え、精神的にも不安定になり、仕事ができず、お金がない、そのような比較的若い人たちと日々接している。彼らの中でも少なくない人たちが、これまで生きる中で、家を失ったり、追い出されたりして野宿したりネットカフェに寝泊まりしたり、性を売るなどして、ホームレス状態で日々の生活をしのいできた経験がある。

彼らが頑張ってこなかったわけではなく、それぞれのやり方で、やれるだけ、頑張ってきたけれど、病気や働けなくなった時に休める「家(家族)」がないことが、彼らがもう一度歩き出すことを困難にする。

一度、レールからドロップアウトした人間に対し、社会は冷たい。社会の側に、余裕がないのだ。再チャレンジする人間の、失敗を許容し、回復を見守る余裕がない。それは、今の社会の、汲々とした状態を見ればわかる。

年々増加する児童虐待通告件数も、過去最多に上る自殺も、高齢化するひきこもり問題も、不登校児も、いじめも、貧困も、非正規社員の増大も、外国人労働者の受け入れの問題も、少子高齢化、生涯未婚率の高さも、その社会問題は、もう目をつむって、なかったことにするにはできないほど、速いスピードで、大波となって、押し寄せてきている。

受容性もない、弾力性を失ったこの社会で、すべて自分たちでなんとかしようとする「自己責任」論だけで押し切るには限界があるのだ。

「おんなじいのち」として

誰だって、一人で生きてきたわけではないのだ。誰かに支えられ、支え、生きてきたはずだ。

ひとりひとりに、名前がある。生きてきた時間がある。
「おんなじいのち」だ。

路上生活をしていた人たちだって、家族があった。名前がある。気持ちがある。

しかし、いま、そこには深い分断がある。

ホームレスの実情はほとんど知られていない。彼らが路上生活に至る理由や、どのような気持ちで過ごしていたかなど、知る機会はほとんどない。
私だって、普段の生活の中で、自分の生活と、彼らの生活を、「あっち」と「こっち」で線を引いて、別世界と考えていないとは言えない。
それほどまでに接点がないからだ。
その接点が、前触れもなく目の前に訪れたのが、今回の台風での避難所の一件だったと言える。

長くなってしまったが、続く後編では、元ホームレスの「生笑一座」の皆さんの話をまとめたいと思う。
当事者の語りから、私たちは何を学べるか。
この閉塞感のある世の中で、ホームレスだった人たちから「役立てられる」ヒントはないのか。

今回の、台東区の一件を書いていて、とても身近なところで起こったこともあり、また、知っている人の驚くような言動を見聞きし、正直、とても疲れるし、暗い気持ちにもなる。

でもこんな時代だからこそ、私はやはり、もっと社会の側に受容性があってほしいと強く思う。人間を使い捨てるのではなく、一度レールを外れるようなことがあっても、その人の「回復」を支え、再び飛び立てるような社会がいい。

それを願って、この記事を残すことにします。