『少女は夜明けに夢を見る』
岩波ホールで上映中のこの映画。
『少女は夜明けに夢を見る』
イランの少女更正保護施設のドキュメンタリーです。
罪状は、強盗、売春、薬の売買、殺人、浮浪(家出)など様々だけれど、全員、加害者であり、被害者でもある。
最後のシーンで、明日釈放されるというひとりの少女が、眠れずに夜明けを待つ薄暗い闇のなかで、監督と対話する。
努力をして少しでもよくなる方に進んではどうかという監督の問いかけのあとに少女は即答する。
「社会には勝てない」
彼女たちにとっては、この施設の中にいる間だけが、安寧のときなのだ。同じような過酷な境遇で生き延びてきた少女たちが出会い、短い間でも共に過ごし、笑い、泣き、慰めあい、共感し合う。
それでもいつかここを出ていかねばならない。必ず、家族の元に帰される。
釈放を「おめでとう」という監督に、「お悔やみを、でしょ」という少女。虐待していた父親の元へ帰されるのだ。
不安がり「何かあったら責任取れるのか」と嘆く少女に、施設の職員が厳しく言い放つ。
「書類にサインしたら必ず出なければならない。ここを出れば家族にも一人で立ち向かうしかない。私たちは責任は取らない。たとえあなたが自殺をしたとしてもね」
釈放のシーンもそれぞれ印象的だ。
迎えもなく孤独に立つ少女。恐れていた父親と乗り込む車が発車する様子。家族と和解し喜びを全身で表現しながら何度も手を降り施設を出る少女。
そのどれを見ても、私たちは、彼女たちがこれから生きる社会が、安息に満ちているとは決して感じることができない。
カメラは、施設の中での少女たちしか撮らない。それでも、もれだしてくる痛みがある。
現実は過酷だ。
ここで支え合っている少女たちも、常に外の不安を感じている。
そしてこの映画が示すことは
全く同じことが、いまここの日本で起きているということだ。
遠いイランの、隔絶された世界の話ではない。
そのことを、これを見た人には噛みしめてほしい。
安易な、希望的な言葉を発することができない映画だけれど、それでも、私たちはいまいちど、確認したい。
どんなに苦しい過去があり、どんなに未来に明るさを見いだせないとしても。
いま、目の前の少女は、まだ、生きている。
生きて、苦しみながらも、懸命に、心を震わせている。
それであれば、私たち大人は、まだ諦めることはできないのだ。この社会を。子どもたちの未来を。