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【エッセイ】地方も東京も息苦しい
年が明ける瞬間は歌舞伎町の地下の薄暗いライブハウスにいた。
「復活♡大森靖子 カウントダウンライブ2024-2025」が行われる新宿LOFTはトー横を過ぎた歌舞伎町の入口にある。同じビルに入ったホストクラブの電子看板は年末年始だろうとお構いなく、2年前と同じBGMを流し続けていて、この街は相変わらず独特の文化がはびこっているのがわかる。23時にライブが始まり、大森さんとオタクたちと年越しの時間空間を共有することで、一人で来ているのに一人じゃない多幸感に包まれた。
新宿LOFTの難点をひとつだけ挙げるとすると、とにかく電波が入らないことだ。一応wi-fiもあるようだが、なぜかアクセスできない。たまに電波がつながりLINEの通知は来るものの本文を読むことができない。もうお正月ムードに変わっているかもしれない外界と遮断されたこの地下空間で、私は大森さんとのチェキ列に待機した。時間をつぶしたくてなんとなくスマホを開いてしまう。すると、たまたまインスタの最新投稿を見ることができた。何万回と見てきては全く重要ではない「ご報告」投稿が表示された。どうやら10個下の後輩が結婚をするらしい。ご丁寧に婚姻届けに指輪を並べた写真に、届出を出したときのツーショットまで添えて。
ああ、新年だし、こういう幸せ報告で今年もあふれるんだろうな。
年末年始にあわただしく入籍報告をする芸能人も多い。まあ後輩の場合は一般人なのだが。それにしても、わざわざ「ご報告」という文字を写真に入れた投稿を作っているときって、どんな気分なのだろう。誰かがこのご報告を待っていると思って作っているのか? それとも、自分にはご報告する義務があると思っているのか? 聞いてみたいところではあるが、どうせそこまで深くは考えていないだろうから、聞いたところで大した答えは帰ってこなさそう。
結婚願望はないので、この投稿をうらやましく思うことはないのだが、それでもやはり、自分は亜流を生きてしまっているなと、心に小さなとげが刺さる。
結婚して誰かに幸せにしてもらいたいと思うほど世間知らずでもなければ、仕事も人生もちゃんと自立して生きている。それに、結婚を選ばなかっただけで、私にもプロポーズされた過去くらいはある。マイナスもプラスもひとつひとつ自分の決断を積み重ねて今の私がある。それは揺るがない事実だ。
この日のチェキ整理番号は29番。待ち時間はそれほど長くなく大森さんに会うことができた。「明けましておめでとうございます」「~~のたぐちです」と説明すると「わかるよ」と返してくれる、そういうところがこの人がコアなファンを離さない理由なのだと思う。「今年は私もフリーランスになるのでお互い頑張りましょう」と何目線かわからない声をかけて、チェキは終了した。帰り際の己のにやけ顔が自分でもわかった。地上に出るとゴミが散乱していた。街中を歩いているのは海外からの旅行客が8割くらいで、あまり日本の正月という空気が堪能できなくて、帰り際に家の近くの神社に初詣に訪れた。
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今年は正月明けに土日がくっつき9連休になったので、箱根駅伝の復路を見てから実家に帰省した。というのも、1月4日に高校の大規模な同窓会が行われる予定だったからだ。高校時代と言えば演劇部の活動にいそしんでいて、正直クラスメイトとの思い出は薄い。恩師も部活の顧問とは数年に一度程度顔を合わせるが、それ以外の先生はほとんど名前も担当教科も思い出せなくなっている。それは私が高校を卒業してからずっと東京にいるからかもしれず、地元の友人は「〇〇は英語の先生で△△のクラスの担任で~」「××と▲▲が仲悪くて~」と教えてくれるから、彼女たちは地元にいる間、共通の話題である高校時代の思い出話などをしているのだろう。
地元の地域の中でも特に進学校だった母校は、優秀な人が多い。それは、先生が話し始めるとちゃんと聞く姿勢をとれるところにそう思った。これまでさまざまなコミュニティーでそういう場面に遭遇したことはあるが、だいたいは誰かが話を聞いていなかったりぺちゃくちゃしゃべったりするのだ。よく見ると参加者の身なりもちゃんとしてるし、下品にロゴが並んだハイブランドを着てきているようなジャンルの人もいない。唯一私が会社のビンゴで当たったDiorのピアスをしているぐらいだろう、ほかの服はGUだが。
同窓会に参加する人がちゃんとしているだけなのかもしれないが、みんな当たり前だが仕事をしているし、そうでなければ子育てをしているし、ちゃんと家や車もある。地方だからというところを差し引いても、“ちゃんとし過ぎている”。ここでは誰も大森靖子の話をしないし、誰も知らないだろうし、聞いたところでピンとこないだろう。息が詰まりそうだ。
息が詰まりそうなのは、この空間に、なのか、それとも自分の生き方に、なのか。
結婚、出産、家族、一般的な“正解”と思われるような選択をあえてさけて自分を追い込んできた自分の生き方が、私の息の根を止めようとしているのだろうか。
もしあのとき結婚していたら、そのまま出産していたら、相手に任せて家を選んでいたら、私は生きやすかったのだろうか。そうだったかもしれないし、そうじゃないかもしれないし、どちらにしろ選んでいない人生のことなどわからない。
次の日の朝新幹線で東京に戻った。帰宅して荷ほどきをし、すぐにダンスのレッスンとリハに向かった。この日は15時30分~21時過ぎまでの練習予定。長い。地元は地元でやることがないが、東京は東京で油断をするとすぐにつぶれそうになる。どちらにしたって息苦しい。
それでも、空気がない息苦しさより、水の中で必死でもがいているときの息苦しさのほうが私にはマシに思える。だから今日も、東京という冷たい水の中で必死で泳ぐのだ。