モモコのゴールデン街日誌「秋惜しむ」
常連だった男性客が、ぱったり来なくなった。
彼女ができたからだ。
20代後半の青年 Dくんは、わたしの最初の常連客だった。
コロナ禍のまっ最中、わたしがカウンターに入った最初の土曜日に、たまたま入ってきた。
いつも店を開けてすぐの早い時間に来て、ハイボールを1杯飲んでさっと出ていく。ときどき話しが盛り上がれば2杯目、3杯目と飲む。
ちょっと緊張気味の一見の客を、和ませてくれることもあり、助かっていた。
東京に出てきたばかりで、口ぐせは「彼女が欲しい」「はやくお嫁さんが欲しい」だった。
パッと見た感じ、モテなさそうではない。
いつも笑顔で、背も高く、腕や胸板はきれいに鍛えられており、若くして、稼ぎも相当に良さそうだった。
何より、毎週こういうところで酒を飲んでいるわりには、スレたところがなく、爽やかなのだ。
ゴールデン街には、一筋縄でいかない個性的な客も多く、彼らは“スレている”どころか、こじらせながら、一周まわって、まろやかなバターになっちゃったという魅力がある。
優等生なDくんは、こじらせていない。
しかし、そんな自分とはちがう人生を歩んでいる人が好きなのだろう。
マウントを取ることもなく、偏見もない、イイヤツだった。
とうぜん、そのうちすぐ彼女が出来るだろうと思えたので、特に心配もしなかったが、
「そういえば、この前言ってた好きな子とデートしたの?」
そんな質問くらいはたまに投げてあげた。
「全然ダメ!LINEはしてるけど、忙しいって言われて会えない」
「マッチングアプリに登録してみた!でも1回会うだけで、次がない」
Dくんほどの優等生でも、苦戦するのは、あまりにも出来すぎた人は、この街では、まぶしすぎるからかもしれない。
ある日、いつものようにまだ人のいない店内で、Dくんと話をしていると、30代くらいの若い女の子がひとりで店に入って来た。
ゴールデン街にひとりで来る女の子の客はめずらしい。
もちろん知り合いの女の子は来るが、一見で、若いおんなひとりというのは、歌舞伎町界隈で働く同じ水商売のお姉さんか、あるいは個性的なアーティストタイプだけだ。
例えば、ちょっと不思議な暗さのある文学少女風とか、顔つきがクールなアーティスト、みたいな子。
だが、彼女はそのどれでもなかった。
髪を、かなり明るくブリーチしており、うすピンクがかった茶色に染めているから、個性的なほうといえるかもしれない。
だが、アパレル企業で働いているらしく、自身の自己主張のためというよりむしろ、おしゃれな人が多い業界に溶け込むためのたしなみに見えた。
がんばりすぎない、居心地の良さをまとっていた。
ふだんは正社員で働いているらしく、社会人歴もそれなりにあるのだろう。笑顔がかわいらしく、コミュ力もばっちりで、すぐに打ち溶けた。
つまり、Dくんは、突然降って湧いたこのラッキーシュチュエーションに、色めきだっていた。
しかし、ピンクの髪の彼女は、笑顔のままではあるが、落ち込んでいて帰りたくないらしく、まずは、女同士の話しがしたかったようだった。Dくんはそっちのけで、カウンターに身を乗り出して、わたしに話しかける。
「お姉さん、わたし、付き合ってたひとに、振られたんです。友だちとしてしか見られないとか言われて。へこんでます」
といいながら、ハイボールを注文した。
なるほど。
普通のかわいい女の子がこんなとこに迷い込んでくるのは、やっぱりそれなりの理由があるんだな、と思いながら、失恋話しを聞いてあげることにした。
いつものように男性のひとり語りを聞くのとはちがう。
女どうしとなると、人ごとではない。目の前にいるピンクちゃんは、いつかの自分だった。
こういう時は、お姉さんとしてビシとした助言をするとか、やさしく受け止めて共感してあげるべきところなのだろう。
しかし、自分でも驚いたことに、私は無責任に、甘い気分にひたり、聞いているだけ。
まず、その若さがうらやましいと思った。今になれば、手にとるように分かるというか、すぐに解決できそうな小さな悩みを、真剣に話す女の子。その時間そのものが、みずみずしい。
愚かさを綺麗だと思う日が来るとは、と、かつての自分もそれを持っていたことを確認し、そこに拍手を送っていた。
そんなわけで、うっとり聞いていた観客の私に満足したのか、彼女はひととおりを話し、ひとまずは吹っ切れた様子だった。
そして、今まで隣りに居たDくんに急に気がついた、という様子で、なごやかに話しかけ始め、Dくんは察しのとおり水を得た魚状態となった。
なかなかいい雰囲気に落ち着いたので、放置することにした。
あとは、若い人おふたりで...というやつだ。
ちょうど団体客が入ってきたので、飲み物をつくったり、会話を盛り上げたりとしばらく忙しく、2時間以上は経っただろうか?
気がつくと、若いふたりはいっしょに立ち上がり、お会計を、という。
終電の時間はとっくに過ぎていた。
手を繋いで出て行く姿を見て、やはり、ピンクちゃんは、私に話しを聞いてもらうだけでは物足りなかったのだと分かる。
さっきまでは、かわいいなあと、うっとり聞いていた私だったのに、
「ちょっと!出会ったばかりの手ごろな相手と一晩を共にするなんて、やめなさいよ〜!あんた!また失敗するよ!」
と後ろから呼びかけてやりたい気分になった。
次の週、Dくんが店に来たので、どうだったのか聞くと、顔を赤らめながらも、浮かない顔をしている。
「オレは利用されました」
Dくんは、あの夜、彼女をとても好きになったらしく、次の日にはさっそくLINEを送り、ちゃんとしたデートに誘ったのだという。
しかし、その後も何通か送っても、彼女からは既読も付かず、なんの返信もないという。
「気があってたし、彼女もオレが好きそうだったんだけど。彼女、失恋したから、腹いせに、ただオレを利用して、気を紛らわせたかっただけだな」
といって肩を落としていた。可哀想だとも思ったが、本当にいいヤツだなあと感心した。
それからすぐ、Dくんに彼女が出来た。
「きっと桃子さんも、良い子だと思うとおもう!今度紹介します」
と、ほんとうに彼女を連れて店にやってきたが、それからは、ぱったりと姿を見せなくなった。
お店のひととしては、毎週見ていた顔を見なくなるのはさみしかったが、Dくんはやっと幸せになったんだなあと、うれしかった。
ある日、半年ほど経ってから、またひょっこりと店に来た。
「あの彼女と上手くいってる?」
と聞くと、
「明日から京都行くんです。彼女の両親に結婚のあいさつに行きます。緊張する〜!」
と、ストレスなのか、顔をこわばらせてはいるものの、半年ぶりに見るDくんは、肌のつやがよく、けして太ったというわけではないが、顔の輪郭がうっすらとまるく、幸せそうだった。
そして、Dくんは、たぶんもう店には来ないだろうと思った。
来るとしても、おそらく何年かあとになるだろう。子どもが生まれたといって、写真でも見せてくれるかもしれない。
そして、それからまた数ヶ月経った先週のことだ。
あのピンクちゃんが、今度は、女友達を連れて店にやってきた。
わたしは最近覚えたてだが、店でたまにタロット占いをするようになっった。
“モモコのタロット占い・500円” と書いたカードを見て
「わあ!占いやりたい!やってください」
というので観てあげようとすると、
「桃子さん、Dくん覚えてますか?」
という。
「あの夜、わたしDくんとホテルに行ったんです」
そんなの分かってるよ〜、と思ったがいわずに、そのまま話しを聞いていると、どうやらピンクちゃんは、あの夜のあくる日、 DくんからのLINEのメッセージを受けとらなかったらしい。
「デートしようっていってくれて。連絡くれるはずだったんです。待ってたんだけど、来なかったです。だから、また遊ばれたかなって」
笑って言うが、本当はかなり傷ついたのかもしれない。
LINEの操作を間違えたのか?電波障害なのか、それはよくわからないが、とりあえず知っていることを伝えることにした。
「え〜!!Dくんさ、あの夜の次の日から、何度もLINEしたのに返事がなかったっていってたよ?」
「え〜!!うそでしょ!向こうからは、なんにも来なかったですよ!なんで?」
と、少し取り乱している。
「そうかあ... すれ違いだったのかな? でも、もうだいぶ前のことだし... もういいや。それより、わたしに彼氏ができるかどうか占ってください!」
確かに、今からどうにかするにしては、もう時間が経ちすぎていた。
そして、それよりも、わたしはタロットの結果のほうを心配していた。
カードを広げる前に。
Dくんに、あのあと彼女が出来て、もう結婚したよと、彼女に伝えるべきだろうか?
さらにショックを与えるかもしれないから、言いづらい。
しかし、それを知ることによって、これから占う彼女の未来のカードも、確実に、変わるはずなのだ。
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秋惜しむホームにのこる笑みひとつ 夜桃
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