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【ACE WAY:創業ストーリー編】誕生秘話〜ブランド1周年を振り返る

2021年10月にローンチ、12月に発売してから1年が経ちました。
一緒にブランドを大きくしてくれたJOKERSの皆様により深くACEANDRAREを知っていたくために、立ち上げまでの経緯〜本日までの1年間を振り返ります。

株式会社WISTRIA誕生

自分の貯金を全額突っ込み、できるだけ資本金を入れたかったので親に頭を下げて一部だけ出資してもらいウィストリアが始まりました。後ろ盾もいなければ、決断をして責任を取ってくれる人はいない。自由と引き換えに重い責任を背負った。ファッションが死ぬほど好きな人生を歩んでもないし、わたしにはこれといった何かはない。強いて言えば「やってできないことはない」と信じていること、人よりは根性とこだわりが有るくらい。平凡なわたしを非凡なメンバーが支えてくれエースが運営できています。

どんな風に、なんでエースってできたの?長い話になりますが、大学時代から遡っていきます。

なぜかつまらなかった学生生活

小学校から大学まで友人にも教師にも恵まれ、部活や打ち込み、行事では実行委員をしたり最高に充実していたのだが、なぜか苦しかったかったし面白くなかった。遅刻・休みには非常に厳しい家で、皆勤賞をもらうくらいだったが、できることなら学校なんか行かずずっと家にいたいと常に思っていた。右向け右、規則だらけの生活が根本的に合わなかったのだろう。

高校3年の文化祭
つまらないと言いながら行事は楽しかった

わたしの人生はうまくいかないことがとっても多かった。今思えばそのどれもがエースの布石とさえ思ってしまうから不思議だ。

大学時代の二度の挫折

長期交換留学を目指し夏休みを返上して勉強するもTOEFLという英語の試験で3点足りず泣く泣く半年間となった。

帰国後はもっと海外に行きたくなり「トビタテ」という政府の奨学金制度に申請。大学の国際センターの方々の協力を仰ぎ、期待を背負って用意周到で受けた最終選考に挑んだ結果、落ちてしまった。休学して自費留学を検討したが、ここで登場リッチマン。「視野を広げるための留学なのに、学んだことに捉われて逆に人生の選択肢を狭める可能性もある。さらに就活でもどこかで一つに決めないともっといい会社がとマリッジブルーみたいになる。長引くとどんどんハードルも上がる」とのアドバイス。妙に納得し、一層迷わない性格となった。結局留学は断念し働くことに。一般生徒より出遅れて就活を始めた。

初の長期滞在
新しい世界を知って刺激を受けた

道を切り開いた就活

このままではお世話になった方々に向ける顔がないと、就活は気を引き締めた。ワクワクするか?起業時に必要なビジネススキルを身につけられるか?こんな視点で会社選びをして行きたい会社を見つけた。広告代理店だった。ハードだけどとにかく楽しそう。ファーストキャリアとしては申し分ない。正直、出身校である専修大学はわたしが受けた大手企業の面接ではほとんどがぶっちぎりの低学歴だったが選考が進むにつれもはやそれが自信となった。最終的に第一志望から内定が出て、社会人という名の大試練が幕を開ける。

ちなみに就活中に渋谷区長に手紙を書いて会いに行ったりしたのだが、「迷ったら必ず積極的な方をとれ。やらない後悔よりやって後悔」という言葉をいただた。思い切りの良さはこの時からかもしれない。

一人で旅をしまくった2016年大学後期
最高の思い出だ

リアル『リッチマン』が起業のきっかけ

人生のターニングポイントとしてまず挙げたいのは大学時代に超敏腕なリアル『リッチマン』日向徹と出逢ったこと。しかも2名おりタイプが少し違うのだ。もろに影響を受けいつか起業しようと決意した。

社会人史上最高のアドバイスは「相手の立場に立つこと」。簡単なようで突き詰めるとひどく難しい。逆にこれさえできれば大抵のことは上手くいくと思っている。細部に神は宿る。小さな仕事もできない人間に大きな仕事などできないと断言する。

地頭、アイディア、コミュニケーション、文章どこをとっても秀逸で非の打ち所がない。さらに努力家で、とてつもない実行力で完遂するときたら誰も太刀打ちできない。一流のビジネスマンの発言は全てが目から鱗で、今もメモを時々見返し仕事に活かしている。いつか日本を変えると言い放ったリッチマンはあれよあれよと業界を揺るがすビジネスを築き上げ遥か遠くにいってしまったが、間違いなくわたしの人生を変えた。

倍離れた上司にバキバキにしごかれた広告代理店時代

人生で一番辛かったのも、人として大きく成長したのも紛れもなくこの時だ。大手のクライアントで歯車にしかなれない現実。チーム全員タフな男性。とにもかくにも手厳しい上司。非常に細かくきっちりとした方で、最近まで大学生だったわたしはあらゆることが至らず徹底的に叩き込まれた。上司の声が広いフロアに響き渡り毎日叱られ自己肯定感は完全に失った。トイレで泣いたしストレスで肌は荒れ、今や感謝しかないが縮み上がるほど恐ろしかった….笑 おまけに朝が絶望的に弱く最高血圧30台をたたき出す人間に、7時過ぎの満員電車片道1.5hはこたえた。消えたい、頼むから自然災害でも起れと願う朝が何度もあり今思えば軽い鬱だった。唯一の救いは優しく頼もしい先輩である。彼らを裏切りたくなかった。追いかける背中や、起業という目標があり簡単にギブアップなどできなかった。じっと耐え抜き出社するわたしを見て涙ながらに「いつでも辞めていい。辞めるべきだ」とボロボロのわたしを励ましてくれたことは一生忘れない。寝坊しなかったのも、雨の日に駅まで濡れずに行けたのも、22時過ぎにとる夕食で必ず横に座って話を聞いてくれたのも、11月になってしまった夏休みに一緒に海外に行ってモチベーションを維持できたのも全て母のおかげである。彼女の献身的なサポート無くして働けなかった。

2018年
夏?秋休みは念願のモロッコへ

気付けば3年近く経つ頃、大好きな先輩たちの転職や異動が続き、もはや続ける理由を見出せなくなっていた。心残りはチームで健気に頑張る後輩である。彼を想うと胸が痛んだが、このままではいつまで経っても辞められないと退職を決めた。

一社目で教えてもらった今でもよく反芻する大切な言葉がある。

”若い女性”ということは最強の武器にも最悪な弱点にもなる。
それを絶対に忘れるな

厳しくも愛を持って熱心に指導してくれた上司からと言われたこと。
多くは語らなかったが、とてつもなく重要なことだと思い
ずっと心に残っている。
1社目最大の学びかも知れない。
社会人の旅行はお金もあってより楽しくなった
西欧諸国を回った2019年

すぐに起業をと思ったが仕事から解き放たれたら旅をすると決めていた。その時起業ネタを見つけるつもりだったが、1年旅しても収穫はなかった。サラリーマンは二度と御免という強い気持ちも薄れ、無性に働きたくなりそこで、ずっと興味のあったファッション業界へ転職した。


2020年2月
20年ロングだったが
バッサリヘアカットした時。

アパレルメーカーに弟子入り

未経験OKの企画職の求人を見つけたが、給与は半分以下、2ヶ月の研修期間は無休という条件。入社を即決、ランチタイムにYouTubeでイラレを覚え、1から服飾を勉強した。

代理店の仕事は極めて地味で華やかさは氷山の一角であったがアパレルは段違いであった。信じられないほど洋服作りは泥臭く、細かい仕事だった。かつアナログで非効率な仕事に、薄利。簡単に赤字になる。


GO TO TRAVELで結構国内旅行へ行った2020年
これは沖縄のハレクラニ

中国の工場と折衝し、服雑貨コスメ、なんでも作った。1年が経つ頃、同じことの繰り返しの毎日に退屈した。もう一生人には仕えないと決めて、OLが終わった。満を持して、いよいよ起業である。

人のものばっかり作ってないで自社ブランドやりましょう
と社長を説得し、作ったマスク

コロナ強制隔離が転機に

厳しい現実を知りアパレル関係は絶対に避けることだけは決めていたが、これといってやりたいこともない。遊んでいたらすぐに1ヶ月が過ぎた。このままではまずいと思い始めた頃、そんな矢先コロナにかった。2週間のホテル療養がターニングポイントとなる。

吹っ切れたらゴルフブランドを思いついた

あまりに暇で普段見ないTIKTOKを見た。意外と面白くて夢を追うシンガーが目に止まる。好きなことをして輝く姿があまりに眩しく、脳裏に焼き付いて離れなくなった。確実に有名になるのが分かるし、自信と希望に満ちた彼を見ていたらお金儲けとか、成功するとかしないとか、全てがどうでも良くなった。思ったことは一つ。

わたしも好きなことをして生きていきたい!

コロナ直前のいとこの結婚式

瞬時にでたアイディアはゴルフブランドの立ち上げ

アパレルブランドはいつかやりたいが、冗談抜きに将来お金ができた時の趣味と考えていた。ゴルフウェアをつくりたいと言うわたしに「そんなの成功しないよ」と返した無責任な大人たちの言葉。わたしらしくないが自分の目で見た服飾の実態を鑑みると、流石に無理だと思い込み、選択肢から除外していた。

だけど信じて「ゴルフ界にZARAを作ってよ」と前向きな発言をしてくれた人も確かにいて、それはやっぱりリッチマンだった。仲良い友達たちからの「桃おしゃれなゴルフウェア作ってよ」という言葉も頭をよぎる。ゴルフ歴10年で抱え続けた悩み、キャリア、大好きなゴルフにファッション、全てが重なりいけそうな予感がした。これまで壁あて相手だった切れ者の華子(妹)も、総合的に「良いじゃん!」とのお墨付き。

決まれば早い、夏に動き出し10月に商品お披露目

ターゲット、コンセプトなどブランドの骨格は速攻で決まった。メーカー・工場さんを探しデザインを考え、ロゴは代理店で同じチームだった美大卒の後輩に頼んだ。着想から4ヶ月後にはブランド名をインスタで紹介し洋服が上がり始めていた。

1stサンプル

強力な助っ人である妹が正式ジョイン

姉妹で働き決裂したらどうしようなどとの不安から尻込みしながらも、華子無くしてACEANDRAREは始まらないと、姉妹二人三脚の日々が始まった。11月には勤めていた会社を辞めてくれ、お金ないだろうから良いよと無給でフルコミットし初めてくれた11月。今までは誰かについて行けば、誰かに判断を仰げば良かったが上を見ても誰もいない。当然どの場面でも決断を求められ、不安に襲われる日々が始まった。

世界中の都市をテーマにするコンセプト

記念すべき初回の国は大好きなスペイン、バルセロナに決定。自分達で撮影する予定だっだが、カメラマンさんが費用協力するので良いものを撮りましょう、と素晴らしい写真を撮ってくださった。

撮影の前日にサンプルが届き、その数日後に発売。12月に1月末納品の冬物の受注をとるという狂気的なスケジュール。突っ走る姉に妹は「一回コレクションを飛ばすべき」と待ったをかけた。だがまずは回してみないと何も始まらない。忠告は聞かなかった。決めたからにはなんとかしてやるしかない。

知名度0の1stコレクションがインスタで話題に

商品には絶対的な自信があったので、直接見てもらいたいとえいやで展示会を開催。メーカーさんのご厚意で無料で会場を使わせていただきコストカットにも成功した。そもそも展示会すらメーカーさんとの打ち合わせで耳にしただけ。やり方は知らない。必要そうなものをかき集めるもラックもハンバーもない。見よう見まねで形にし、当日を迎えた。

アパレルショップでの経験はないが熱意だけはJOKERSに伝わったようで、寒空の中足を運んでくださるお客様の笑顔に、あたたかい言葉に元気をもらった。わずか3日間の受注販売。売上は300万円近くに達した。上々の滑り出しだった。姉妹のビジュアル、リンクコーデ、ありそうでないニットのセットアップ、機能、そして手に取りやすい価格が受けたと推測するが、自分達では到底出荷できない注文数で慌てて物流会社を探した。熱意を勝って破格で契約して下さった物流会社の社長さんには頭が上がらない。

初納品で起こった商品トラブル

人生うまくいかないもので、年明けの量産後に大トラブルに見舞われる。工場が大混雑の旧正月という大型連休の直前、絶望的に納期がない。急かす日本サイドに中国の工場も焦り、想定とは変わり果てたクオリティの商品が生産されてしまった。

超重要な初回。絶対にミスが許されない。安かろう悪かろうでは一貫の終わりである。しかし商品のほとんどが失敗作だった。目も当てられない状況で
まともに睡眠すらできない。寝れば寸法を測る夢にうなされた。自分で会社をやるとはこういうことかと洗礼を受けた。お客様には詫びることしかできない。ラウンドに間に合わせたいと心待ちにするお客様の期待を裏切れない一心で苦肉の策を考えた。不良品でもいいから一度納品したい。無茶なお願いを工場・メーカーさんがのんでくれ希望通りに、真摯に最後まで向き合っていただけた。遅れて商品もお届けし結果的には再販希望が殺到する幻のコレクションとなった。メーカーさんにあの時見捨てられていたら今のエースはないだろう。

22年春夏コレクション「南イタリアポジターノ」


SSコレクションはご要望にお応えして大阪でも展示会を開催。関西に向かう車中、ハプニングが起きた。来場予約を受け付けている会場が、急遽使えなくなったのだ。土地勘もなく頼れる人もおらず最悪の事態である。血相を変えて場所を探し、電話をかけまくりなんとか見つけた。

それだけではない。ポスターや看板などの販促物が東京で受け取れず、当日の朝受け取る始末。幸先の悪いスタートではあったが連日満員で、数時間かけて来てくださった方もいた。思い切ってやった甲斐があった。

@大阪

東京では、知り合いの社長さんに頼み込み、オフィスを利用させていただいた。外苑前駅目の前という立地の路面ワンフロアをなんと無料で貸してくださり、休日に出勤までして立ち会ってくださった。SSコレクションも大盛況で幕を閉じた。

@東京
平日用の東京会場二つ目

膨大な仕事量を巻き取り、水面下で右に左に動いてくれたインターン生。ECページのデザインを手伝ってくれた元同期。

海辺で撮影したいというわたしの希望を聞きロケハンに名乗り出てくれ地元を案内してくれ、何かと相談に乗ってくださる方。販売契約を結んでいただけた千葉バーディ、シギラベイ、中軽井沢カントリークラブ。
メーカーさんだけでなく、たくさんの方の支援でACEANDRAREは成り立っているのだ。

22年秋冬コレクション「ベルギー・ブルージュ」

秋冬はコレクション発売の直前、少し時間ができてずっとチャンスを狙っていた海外へ行くことに。弾丸ロンドン旅行、早朝働き日中遊ぶ毎日を過ごし満喫しすぎた結果あろうことか、コロナ陽性となってしまった。一瞬黙って帰国してしまいたいとも頭をよぎったが体調が死ぬほど悪い。結局帰国翌日から入っていた予定をキャンセルし、リモートで発売開始することとなった。

最重視していたリピート率が2割⇨8.5割に上がった

お届けできる商品を増やしたり、赤字覚悟でサイズ交換対応を始めたり。小さな積み重ねで当初2-3割だったリピート率が84%を記録するまでになった。

12月1日
モードクール好きな華子が主導するブラックライン
PERFECTIONの発売日が過去最高であった

1年という節目の12月

最近はクリスマスコレクションをゲリラ発売しお陰様で即完売に。

いつもご愛顧いただいているJOKERSに感謝を伝えるための企画を練っていた。「ACEANDRAREからささやかなクリスマスプレゼントを贈る」というもので、全商品コンプリしていても楽しめるよう新作2点でお得なギフトBOXにした。

事前露出も一切なくし、ストーリーのみの告知。こまめにチェックしていただけている方しか知れない仕組みに。

実は利益度外視の価格設定のため社内では火花が散った。利益が出なくともどうしても常連さんに喜んでいただきたい、いや流石に安すぎないか?
話し合いを重ねたが、リピーターの方あってのエース、そこに還元したい想いは全員一致しており実施に至った。

毎回はできないことではあるが、想像を超えた反響があった。

最近いただいたDMをちょこっとお見せしよう。もう無理いい〜ってなるときもあるのだが笑 JOKERSからメッセージをいただく度に奮い立たされる。

最後に

もっと可愛いウェアを、機能的なものを、低価格で作れないか?
面白いアイディアはないか?どうしたらJOKERSに喜んでいただけるか?狂ったように考えている。四六時中考えていると、アイディアやデザインがブラッシュアップされ、一晩で話が変わることも多々あり、社内外問わず関係者には計り知れない迷惑をかけている。

特に工場・メーカーさん。試作回数が多過ぎたり、要望が細かくお手上げ状態の時も多々あるはずだ。しかし未来を信じ、全力でわたしの無理難題に答えてお力添えしてくださる。

ブランドを生み、悩み、二人三脚で大切にエースを育ててきた才能溢れる妹。いつも冷静なジャッジを下してくれる。華子との言い争いはまるで正義のぶつかり合いでどちらも正しいことが多い。高みを見るわたしについていけないと言わんばかりの時があるが、最後は桃ちゃんの思うように行こうと信じてついてきてくれる。何度か喧嘩で殺しあったが笑 やっぱり気の合う華子と仕事するのは楽しく、誰よりも信頼を置く存在だ。

ついには母までもが仕事のトラブルでにっちもさっちも行かない夢を見たそうだ。彼女には巻き込み事故を幾度となく食らわせている。それでもエースを始めてよかったねと。落ち込んでいるわたしを見て「桃!すごいよ!!」と前向きな言葉をかけてくれる。

前職の元上司を口説き、今年から一緒に動いていただいているのだが、文句一つ言わず藤澤さんが決めたことをやりましょうと二つ返事で生産まわりの仕事を進め、悩んだらとことん話を聞いてくれ、華子との関係が悪化すれば「家族の仲が壊れることだけは何があってもいけない」とわたしを戒め軌道修正してくれる。

日々の物流や顧客対応、EC作成など多岐に渡りサポートしてくれる優秀で稀有なメンバーたち。バイタリティに溢れ、「ここはやっておきました!!」とおっちょこちょいなわたしの未熟さフルカバーしてくれる。ファインプレーに何度盛拍手を送ったか、分からない。

この中の誰が欠けても、エースは続かなかった。

わたしには社長が務まらない。本気で違う人がやった方がいいんじゃないかと何度も思ったことがあるが、創業者で当たり前だがわたし以上にエースに愛がある人はいない。ならば協力してくれるみんながこの仕事をして良かったと、心から思える日が来るよう先陣切って走っていくしかない。

最初から言い続けていること。エース・アンド・レアという名の所以。

ゴルフ界のエースになるために、当たり前を疑い
唯一無二のレアなブランドを確立したい

JOKERSに満足していただくためにあらゆる手を打った1年間。あちらが立てばこちらが立たない「ものづくり」の難しさを痛感した。失敗もたくさんして悪戦苦闘の末、身をもって学んだのはやっぱり「相手の立場に立つ」ことさえ忘れなければきっとうまくいくということ。

ここからがやっと真のスタートだ。

お客様、関係者の皆様に心から感謝申し上げます。
これからもJOKERSに寄り添い続け、商品・サービスともに感動を届けられるブランドを目指し邁進いたします。

ACEANDRARE 藤澤桃子



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