自己肯定感の低い子どもたちに、何ができますか。
先週、お会いしたかった歌川たいじさんにインタビューすることができ、今週はその記事が5日間にわたって掲載されました。歌川さんは家庭での虐待、学校でのいじめを受けて育ち、その生い立ちを綴ったコミックエッセイ『母さんがどんなに僕を嫌いでも』を出された作家さんです。
この映画化もされたコミックエッセイを読んで、ぜひお話を伺いたいと思っていたのでした。
そして今日もまた、虐待サバイバーさんの取材をしてきました。
歌川さんのインタビューでも、今日の取材でも、「虐待を受けた人は自己肯定感がとても低い」という話が出てきました。
この自己肯定感の低さということについて、今日は考えていました。
私が見てきた無料塾に通う生徒たちも、多くは自己肯定感が低いのです。彼らが虐待を受けているわけではありません。でも、家庭の経済環境によっても、自己肯定感というのはそがれてしまうもののようなのです。
このことは、無料塾を立ち上げてからずっと感じていたので、セミナーでもたびたび口にしてきました。
「どうせ高校を出たら働くんだから」と勉強に熱の入らない子。
「高校を出たら、コンビニとかでバイトするんじゃない?」と他人事のように自分の未来を語る子。
「行ける高校でいい」と進路を安易に決める子。
自己肯定感の低い子にはいつも「どうせ」がつきまといます。この「どうせ」はくせ者です。将来あんなことしたい、こんなことに挑戦したいという意欲を、根こそぎ削いでいくからです。そして、「なるようにしかならない」と、1年先、2年先のことすらイメージすることを阻害します。思考を停止させてしまいます。
歌川さんのインタビューでは、自己肯定感の低さから、会社で成果を出す自分や他人に抱かれる自分にしか価値がないと思い込み、そこに必死にしがみつこうとしたという話が出てきました。
こうやって、今手に入れている環境が自分のマックスだと思いこんで、もっと別にある自分の幸せというものから、目を反らせてしまうわけです。
こういう子を、学習支援の場ではどうしたらいいんだろう……。勉強を見て、できていたらどんどんホメればいいのでしょうか?
でも、「あなたのためなんだから、勉強をしよう」「大学進学を目指して頑張りなさい、あなたならできるから」と言うのは簡単なんですけど、それでは歌川さんを過労死ラインまで働かせた会社と言っていることは変わらない気がするんですよね。
子どもたちは「勉強をする自分にしか価値がないのだろうか」と思いかねないのではないか、と、歌川さんのお話を伺っていて思ったんです。
そうして追い詰めてしまえば、ちょっとやる気を出して頑張ってみても結果がすぐに追いつかなければ「勉強ができていない自分はダメだ」という自己否定の心をさらに養ってしまうし、学力が上がったとしても「これを維持できない自分はダメなんだ」と不安を感じさせることにつながってしまうのではないかな、って。
勉強とか受験とか、そういう目に見える結果だけを見てちゃだめだな……。
誰かを思いやれるようになったこと。
やろうと思って頑張ったこと。
誰かを笑顔にしたこと。
目の前にいる子の、そんなちょっとしたいいところや成長したことを、ちゃんと見て、認めて、言葉にして伝えること。そういうことをおざなりにした学習支援をやってちゃだめだ。
そんなことを、考えてました。
そして、そうやって誰かのちょっとしたいいところに目を向けることができたら、そうできた自分自身の肯定感も上がっていくんじゃないかな、なんて。