あの祝辞を無料塾に置き換えて読んでいくと襟を正されるという話
無料塾のほうでは卒業式が終わり、新学期が始まり、5周年のイベントなんぞをやっておりまして、あっという間に日々が過ぎ去っております。気がつけば桜が咲いて、散っていました。
そんな間に、東京大学の入学式における、上野千鶴子さんの祝辞が話題になっていました。賛否両論、いろいろありますね。
私はこれ、無料塾の活動に置き換えて読み(ムリヤリそう読んだのではなく、ごく自然に重なって読めたのです)、とても感銘を受けました。
賛否両論あるのは、「上野千鶴子さんだから」というのも大きいのかなと思います。ジェンダー系のお話はネットではこのところ常に誰かしらが炎上したり、言い争いを繰り広げていたりして、個人的に思うところはいろいろあるにはありますが、とりあえず今は黙っておきます。整理ができていないだけでなく、今そこに力を使いたくないので。
この祝辞にも、上野さんならではの、ジェンダーのお話が入ってくるわけですが、私はこの部分は上野さんが一番言いたかったことではないととらえています。上野さんが一番言いたかったのはこれじゃないかと、勝手に思う部分がここ。無料塾に重ねて読んだのもここです。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
何かしらの力を持った人たちが、その力をどう使うべきかというお話です。東大の入学式であれば、このような言葉が贈られることも納得です。おそらく、ひとびとを助けるために使える力を、彼ら彼女らはたくさん持っているからです。ひとびとを助けてこの社会をより豊かにしていくだけの知恵を持ち合わせた若者たちが集まった場にふさわしい言葉だったのではと思います。
「自分の弱さを認め……」というところも素敵です。何かしらの力を持っているからといって、弱さのない人などいません。「東大生」というように記号化されることにより、傷つく東大生もいるのだと思います。東大生に限らず、私たちひとりひとりには、自分の弱さを認める権利があります。人は、人と支え合わなくては生きていけない生き物です。ですから、弱さを認め合い、支えていくことこそが、人にとっての強さと言えるのかもしれません。
強がることで、救いの手が差し伸べられたときに握り返すことすらできず、自分を追い込んでさらに窮地に追い込まれる弱者の例は、後を絶ちません。強がっているように見えて、実際は「さらに傷つくことを怖がっている」のほうが近いのかもしれないですが。
さらにこの前には、こんなこともおっしゃっています。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
他人事じゃないです。ここも、東大生だけでなく、多くの人に当てはまる言葉なのではないかと感じました。当然私にも。
無料塾を運営する人や、ボランティアで参加する人にも、さまざまな人がいるわけですが、その多くはここで語られる「あなた」なのではないかと思います。少なくとも私はそうです。
大学に行くということに、ほとんど疑いを持たずに高校生活までを送り、ごくごく普通のこととして大学に通った私。大学に行くには入試は乗り越えなくてはいけませんが、受験がどうだったかということはさておき、まずそういう道を歩んだという時点で、私は相当に恵まれていたのだと思います。頑張ったから大学に入った……と思えるほどがんばってもいないので、本当にスイマセン……という感じです。
そういう人間が、無料塾を運営しています。こわいことです。
知らず知らずの間に、私は私の尺度を普遍的な尺度だと勘違いをしながら人を見て、「頑張れば報われるよ」と声をかけてしまっていないだろうか。環境によって左右される物事に対して、「頑張りが足りない」と判断してしまっていないだろうか。
自分がいつ、そう言われる側に行くことになるかわからないのに、そういう無責任なことをよくよく考えもせずに言ってしまってはいないだろうか。
この間違いが積み重なった状態で無料塾を続けていくとすると、それは人を不幸にすることにつながっていくのではないか。そんなこわさを感じます。
襟を正さねばなりません。常に自分自身に、この部分は確認し続けていかなければならないと思います。
そのうえで、誰かのために、自分が恵まれた力を使うこと。そして自分もまた、力を使ってもらう側の人間であると認めること。人に順位や上下の区別をつけておごるようなことをせず、人間らしく、人と支え合うことで生き抜こうとすること。これが、自分が社会的にどんなポジションにいようとも忘れてはいけないことなのだと思います。
ジェンダーのお話を前に置いていることで賛否が飛び交っておりますが、あくまでもそれは例のひとつであり、象徴的なエピソードのひとつとしてとらえていけば、とてもわかりやすいし、このように東大生を自分に置き換えて教訓として胸に刻むことのできるいい祝辞だったと私は思います。