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留学後、帰国して気づいたこと

オーストラリア留学一年目を終えて、日本に一時帰国しました!

そこで、帰国して気づいた「違い」について書いてみようと思う。

私は一年間、家族と離れてオーストラリアで一人暮らしをしてきた。メルボルンは人生のバックグラウンドが多様な人で溢れかえっている。生まれ育った国、言語が違うと、考え方、物の捉え方もまるで違ってくる。そんなインターナショナルな環境に飛び込んでから、私の中の「普通」が日本の色だけではなく、少しずついろんな色に染まってきた気がする。

帰国してから、自分の生まれ育った母国を少し客観的に見れるようになったと感じる。

私はもともと小6から海外の学校に通っていた帰国子女だけど、ずっと日本も海外もどちらにも足がつかない宙ぶらりんな感覚があった。でも高2で帰国して一年日本の高校生をしたこと、その後メルボルンに留学して一年どっぷり海外の学生をしたことでつま先が少し地面についた気がする。

そんな目線でメルボルンと日本を見ると、たくさんの気づきがあった。

1)環境問題に対する意識:

メルボルンでは、

  • スーパーのレジ袋は紙

  • プラスチックの代わりに紙ストロー、紙スプーン、紙皿

  • 「Made in Australia」って書いてある商品が人気

  • ベジタリアン、ビーガンがトレンド化してて多くのレストランにベジタリアン、ビーガンフレンドリーなメニューがある

  • 町中を走るトラムは100%再生可能エネルギー(太陽光エネルギー)で動いている

メルボルンは全体的に環境問題へのエシカル意識が高い。
使い捨てプラスチックはまだ多く目にするけど、ストローなんかは逆にプラスチックでできてるものを見つけるのが難しいくらい。食べ物に関しても、輸送にかかるエネルギーや温室効果ガスの排出量を少なくできるローカルフードが人気だ。それに、肉を生産するエネルギー効率の悪さから野菜をメインにとるという人も増えているそう。(オージービーフはまだまだ有名だけど)

日本に帰ってきて、レジ袋やストローがまだプラスチックだったことに驚いた。もちろん、プラスチックを紙に変えるだけで全てが解決するなんてことはない。それに日本でもSDGs達成への取り組みなど将来のサステイナビリティに繋がる取り組みは行われている。ただ、メルボルンには日常的に一人一人がもっと気軽に環境へのインパクトを今までより少なくできる工夫があると思う。

カレーを食べに行ったら、紙のカップに紙のスプーン。袋はプラスチックだったけどね
100% オーストラリア産のピーナッツバター

2)多様性の意識

国籍、体型、言語、ジェンダー、身につけるものなど、一人一人がそれぞれの特徴を持っていて、人生のバックグラウンドも、みんなそれぞれ、全く違う。メルボルンでは、街を歩いていると同じ道を歩いている人々の多様さに圧倒される。そんな街だから、差別はあまり見かけない(完全にないってことではないと思うけど)。逆に、世界で起きている差別に対して解決したい、戦いたいという姿勢がみられる。

  • メルボルンの土地に住んでいた先住民に対する敬意:授業や大きなプレゼンテーションなどが始まる前に、”We acknowledge and pay respect to the traditional owners of the land" (私たちはこの土地の伝統的所有者を尊重し、敬意を払います)という言葉で始まる。

  • プライドパレードやLGBTQ+を尊重する広告が見られる。同性婚は合法。

  • 広告を飾るモデルは多様なナショナリティー、体型やジェンダー

  • State Library 前の広場でよくプロテストが行われる。最近多いのが、”Free Palestine!"と叫ぶ、戦争反対プロテスト。

授業スライド1ページ目

一方で、日本は多様性がマジョリティに隠れてしまっている気がする。日本に長期移住をする外国人が少ないのは見ての通りだけど、日本人だって、一人一人個性がある人間。同じナショナリティの人々が集まる環境にだって、多様性は尊重されるべき。

日本で衝撃的だったのが、電車や駅で見る広告。女性向けの広告はピンクの背景に柔らかいフォントで、細くて肌白な若い女の子が、脱毛や二重手術で可愛くなろう!婚活しよう!って言っている広告で溢れているのに対して、男性向けの広告は青か黒っぽい背景に角があるフォントで、30-40代のモデルが暗い色のスーツを着ていて、仕事をこなしていい男になろうと言っているような広告がよく目に入ったこと。モデルは日本人が多くを占めていて、日本人以外のモデルは大体白人。もちろん全ての広告がこうじゃないし、綺麗になろうとすること、仕事ができる格好いい人になろうとすることが悪いと言っているんじゃないんだけど、日本はジェンダー表現が一元的であったり、外見主義が強いなぁと感じた。

こういう問題って、比較対象がないとしっかり考えること、ましては問題があることに気づくことが難しい問題だと思う。この国に比べて、この国では〇〇だ、とかね。だから、メルボルンにも日本にも住んだことがある私はラッキーだと思うし、問題意識が低い人は悪いとは思わない。私は運が良かったから気づけた。だから、この気づきをもっと多くの人とシェアして、より多くの人の問題意識を高めていきたいと思う。

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