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🇦🇺留学|オーストラリアまで来て、何を学びたいんだろう

オーストラリアに来てから、ふと頭に思い浮かんだことはなんでもメモに書き出してみるってことを始めた。どんなに小さなことも。

小さなメモも、後で読み返すと学びがある。今日はそんなメモのひとつを読み返して考えたことを書いてみようと思う。

(もやもやぶつけすぎ)

いつもはこんなに長文書かないけど、この時はモヤモヤを晴らしたくて携帯に文字を打ちまくってみた笑

このメモの背景をお話しすると、それは約2ヶ月前の数学の教室まで戻る。その日はちょうど、数学の課題に関して先生との面談の時間だった。

課題はばっちり。頑張ったもんね。でも、私はちょっとこっちの数学に不満があった。

私は日本の高校数学を一年間経験して、頭が痛くなるくらい難しい問題と向き合ってきた。大変な思いをしたけど、一生懸命になったあの一年はいい思い出だ。

こっちの数学はというと、(大学準備コースだからか分からないけど、)なにか物足りない感じがする。今通っているカレッジは英語で数学を受けるのが初めてっていう学生向けだから、数学っていうよりも数学の単語の授業を聞かされている感じ。

今まで習ったこと、もう知っていることを全部やり直すのは、新しい発見がなくてちょっとモチベを保つのが難しい。

だから思い切って面談の時にその思いを打ち明けてみたんだけど、先生の口から出てきたのがこんな言葉だったんだ。

We do not take maths seriously like we did back in 1960s
  ー今は1960年代みたいに数学に力を入れないんだよ

「1960年」とか、「昔」みたいなフレーズを使いまわされて、私がメモにぶつけたあのモヤモヤが心臓のあたりに生まれた。

もし欲しかったら、今誰も読まないけど昔使ってた紙の教科書、pdfで持ってるから後で送るよ、と言われ、何も言い返せずに頷き面談室を出た。

教室に戻ってまた1人生徒が呼ばれるのを見てから、私はメモを開いた。

ここで考えたことは、二つある。

一つは、この世界には役に立つ知識とそうでない知識があるかもってこと。今までは、何でもかんでも勉強することがいいこと、どんな知識でも詰め込んだら何かの役に立つだろうって考えで、がむしゃらに勉強してた。何のために勉強してるんだろうなんて考えもせずに、ただひたすらにテストのために知識を詰め込んできた。数学はその例の一つ。心を無にして、いい点数への期待と、失敗への恐怖を原動力に、ただ頭と右腕を必死に動かしてきた。

でも、人工知能が人間の能力を超えてきている今、その努力は果たして必要なのか疑問に思った。もちろんある程度の数学の力は必要だけど、AIに任せるところは任せてもいいんじゃないかな。

調べてみたら、こんなものを見つけた。

え、なんじゃこりゃだよね笑 宿題を助けてくれるんだって。

ここで私が言いたいのは、どうやって宿題でずるするかってことじゃなくて、もっと大きなスケールでいかにうまくサボれるかってこと。数学の中でも特に、ルールがきっかりと決まっている完成した分野は手で練習しなくても、コンピュータに任せればいいんじゃないかな。逆にその「任せる」作業の練習が必要じゃないかと私は思う。そうして余った時間で、完成してないところに手をつけていくのが効率的じゃない?

電卓が登場してから、手で計算するよりもっと効率良く正確に答えを導けるようになったのと同じように、AIを上手に活用することが数学という学問をより高次の段階へ引っ張り上げてくれるんじゃないかな。

もう一つは、数学や物理などの分野は、コアなところは大体完成していて、今は専門化が進んでいるってこと。もちろんまだまだ人類が辿り着けていない謎はたくさんあるけれど、今数学の研究を始めたとして、誰も登り詰めたことのない高みに出るには専門性の高いニッチな世界の端っこを掘り探るような感じがする。私が疑問に思ったのは、そうして得た新しい知識は果たして役に立つのか?ってこと。例えば物理学で初期の宇宙の研究が進んでいるけど、真実を突き止めたところで、次のステップが分からなくなる。

もちろん、知への探索は続けるべきだ。でも知への欲求を満たす前に、地球全体のスケールで手に負えなくなっている問題について考えなくちゃいけないことが山ほどあるんじゃないか?と思う。私はオーストラリアに来て、環境学に興味を持ち始めた。環境学の授業は物理や数学と違って、答えのない(あるいは答えが一つに決まらない)問題によく出くわす。この授業では、地球が直面している問題にどうやってアプローチしていくかを学ぶ。気候変動、森林破壊、海水汚染など、問題への答えを知りたいか知りたくないかじゃなくて、「知らなければいけない」立場に立たされている中、数学の新定理はどれほど役に立つのか。今、後一歩踏み出すともう元の地球には戻れないかもしれないくらい、大きな転換点に立っている中で、人々が蓄えるべき知識の形が変わってきていると感じる。

先生の口からこぼれ落ちた一言が頭の中をぐるぐる回って、こんなに色々考えてしまった。

私は高校に入ってからというもの、物理学に興味を持って努力を続けてきた。オーストラリアに留学して、物理学を極めようとエンジンを燃やしてきた。

でも、オーストラリアまできて、スタートラインに立ったぞ!って思ったら急に、何を学びたいのか分からなくなった。一本道をエンジン全開で走っていてゴールも一点に決まっていたはずなのに、急にいくつもの複雑な道が目の前に現れたって感じ。

どっちにいけばいいんだろう。

ぐるぐるぐるぐる考えた結果、もっと分からなくなった。

でも、一本道を走っていた時には見えなかった景色が見えた気がした。

先生、ありがとう。

窓で解く数学はちょっとワクワクする

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