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私たちはまだ恋をする準備が出来ていない #86 Hikaru Side

毎回1話完結の恋愛小説。下のあらすじを読んだら、どの回からでもお楽しみいただけます。
あらすじ:さとみ32歳、琉生25歳は社内恋愛中。琉生の後輩、志田潤はさとみに片思い。今回の主役「光(ひかる)34歳」はさとみの総務の先輩。営業部の斎藤拓真と社内結婚して2年経った。1歳になる長男の保育園が見つかったので、今日から職場復帰。斎藤は社内で不倫をしているのは薄々気づいているが、誰なのかはわかっていない。

▼光の話(初回)はこちらからどうぞ

慣らし保育も終わり。今朝は息子の真をスムーズに保育園に預けられた。毎日「月曜日にはママはお仕事だからね」と言い聞かせていた成果かもしれない。

会社の自動ドアが開き、冷房の冷たい空気の匂いが、懐かしさを呼び起こした。一方で10年以上前、入社した日に覚えた緊張感が蘇る。

久しぶりの職場だ。

私は、少しドキドキしながら、総務のドアを開けた。

「おはようございます」

私が入るとすでに、2人の人影があった。

「光先輩!」

先に来ていたのは後輩のさとみだった。

「おはようございます!!お久しぶりです!!」

さとみが私に駆け寄ってきた。

「さとみ、おはよう。久しぶり~。いろいろ長らくありがとねー,」

私たちはどちらともなく、手を握り合う。

電話では話していたが、直接会うのはいつ以来だろう。

「先週の総会、大変だったでしょ?私もあと1週間早く復帰できてたら、手伝えたのに」

「例年のことですから、慣れました。それより、光先輩とまたお仕事出来て嬉しいです」

さとみがキラキラした笑顔で、そう言ってくれる。本当にこの子はいい子だ。素直だし、可愛いし。仕事に対しては真面目。この子がいてくれたから、私も産休、育休が取れた、といっても過言ではない。

「あ、斎藤部長はさっき見かけましたけど・・・・一緒に通勤じゃないんですか?」

「あ、ああ。私が保育園に送っていくのがメインだから」

「交代じゃないんですね」

「あっちは管理職でしょ。なかなかそういうことは頼みづらいよね」

私は出来るだけなんでもない風を装った。

「総務が楽ってわけじゃないけど、基本定時でいい仕事だし。そういうところは家庭で、出来る方がやるってことで上手くバランス取らないとね」

私は少し嘘をついた。本音は、拓真にだって、保育園の送迎をしてほしい。私だってこれから早く出勤したいこと、残業したいことだって出てくるはずだ。なのに最初から全部私がやるって、話し合いもしていないのに、当然のようにそうなってしまっている。

「さすが光先輩ですね。家事育児両立されて」

さとみがキラキラした目で見てくるのが、辛い。私はつい見栄を張って、辛いとか弱音が吐けず、お姉さん風を吹かせてしまうのだ。

「うーん、そうでもないよ」

謙遜するふりをして、私は少しだけ嘘をついた罪悪感を軽くしようと試みた。

そんなときバタバタと足音がして、大きな声が総務に響いた。

「さーとーみーさーんー」

バンっとドアが開き、男の子が飛び込んできた。

「え?なに?」

私が振り返ると、犬みたいな、満面の笑顔の男の子がいた。

「潤くん、おはよう」

さとみが手なづけた犬に餌をやるように、引き出しからお菓子をだして渡している。

「今日はどうしたの?」

さとみの問いに答えずに、イヌくんがこっちをきょとんとして見ている。

「わ、めっちゃ美人なおねーさんがいる」

お。いい子・・・か?

「あ、そうか。潤くん知らなかったよね。こちら斎藤光さん。営業部の斎藤部長の奥様」

さとみがイヌくんにそう紹介した。

「奥様って、ヤメてよ」

私は軽くさとみの腕を叩いた。奥様なんて柄じゃない。けど、そうか。そうやって紹介されるのか。社内結婚なのは周知の事実なので、改めてそんな紹介のされ方をすると、不思議な感じがする。

「ああー!斎藤部長の!どうも、斎藤部長にはお世話になってます。営業部の志田潤です。2年目です」

イヌ・・・じゃなかった、志田くんはペコリと頭を下げた。なるほど。私とほぼ入れ違いで入社した子だから、知らなかったのか。拓真の部署の子なのか。

「そうなんだ、よろしく」

私は笑顔で応える。イヌくんが私に会釈をして、さとみの前に書類を広げた。

「あ、今日の用事はー。この書類なんですけどー」

しばらく様子を見ていたが、さとみに任せてもよさそうだったので私は離れた。嘱託のヨシダさんのところへ行って、休んでいた間になにがあったかなど、引き継ぎをしてもらおう。

「引き継ぎかあー。光ちゃんがいたときと、多分なーんにも変わってないと思うけど」

「そうなんですか。斎藤からは、結構リモートとか増えて、いろいろ社内で使用しているツールも変わってるって聞いたんですが・・・」

「ああ、そうそう。いろいろね。でもそういうのはさとみちゃんに聞いたほうがいいかもな。俺はほとんど使わないから」

「あ・・・ですよね。じゃあ、あとでさとみに聞きます」

私は、一応総務の中の書棚やパソコン、ネットワークの中などを覗いてみたが、驚くほど何も変わっていなかった。

ここにいると2年弱休んでいたのが嘘のようだ。まるで昨日までここで仕事をしていたかのような気持ちになる。

私はワクワクしている。息子の真と二人っきりの時間から、再び社会と繋がれるのだ。

「すいません」

ドアのほうから女の子の声がして、私は顔を上げた。さとみはまだ志田くんの対応をしている。

「げ、由衣さん」

志田くんがその女の子をみて、露骨に嫌な顔をした。

さとみはユイと呼ばれた女の子をちらっと見たが、まるで見なかったかのような風に再び志田くんに書類の説明を続けた。

え?私は軽く違和感を感じた。

「あの人、総務の人?」

ユイと呼ばれた子は私を指差して、志田くんに尋ねている。そうか、その子も私のことは知らないのか。

「ごめんなさいね、今日、育休から復帰した“斎藤”です」

私はカウンター近寄り、対応を試みる。

「え?」

ユイという子が驚いた顔で私を見る。

「え?どうかした?」

なぜ驚かれているのかわからないので、彼女に聞いてしまった。

志田くんはなぜか横で「ああああああ」と呻いて、天を仰いでいる。

「いいえ。あの、先週配られた書類でわからないところがあって、聞きに来たんですけど・・・」

ああ。先週配られた書類だから、私ではわからないと思ったのか。私はユイさんが手にしている書類を見せてもらう。

「ああ、これね。毎年全員に書いてもらっているものなんだけど・・・」

私は一通り説明を始めたが、ユイという子は書類より、じっと私を見ている気がする。

「・・・ってことなんだけど、わかった?」

「あー。はい。多分。また書いてみて分からなかったら、聞きに来ます」

「ええ。よろしく。さとみ、提出はいつまで?」

「来週の月曜です」

さとみの声が冷たい。いつもの私への接し方ではない感じがした。いや、私ではない。“ユイ”って子に対して・・・?

「だそうで。わかんなかったら、またいつでも持ってきて」

「ハイ」

そういうと、先に用件が終わっていたイヌ・・・じゃなかった、志田くんとユイさんは一緒に総務を出ていった。

「光先輩・・・」

「なに、どうしたの、さとみ」

さっきまでのキラキラがなくなって、さとみの顔が曇っている。こんなさとみ、見たことがない。

「さっきの人、前に電話で言った人です・・・」

私は記憶を手繰り寄せる。日々自分の子供との生活で手一杯だったので、さとみと電話で何を話したかが、とっさに思い出せなかった。

「あ。ああ!さとみがビンタしたっていう・・・!」

私はそこまで言いかけて、慌てて口を抑えた。ヨシダさんに聞こえてしまう。

「すみません。大人げない対応してしまって」

さとみが私に謝る。

「えっと・・・ソレ以来だったの?顔合わせるの」

「はい。デザイン部とフロア違いますから・・・」

さとみはふぅっとため息をついた。

「仕事は仕事で、ちゃんとしないとだめですよね」

さとみはさっきの些細な対応を気にしているようだった。

「いや、してるでしょ、ちゃんと。そういうことがあったら、さっきの対応はしかたないんじゃないかな」

私はどう慰めていいか分からず、そんなことしか言えない。

「そう、ですかね。私、あんまり嫌なことの対応慣れてなくて」

「うーん、どうだったかなあ、私・・・」

なにか、慰めになる自分の体験談を話してあげようかと思ったのだが、私自身、すっかり忘れている事個に気がついた。私も拓真が他の社内の女に手を出したりして、取った取られたというバトルを何回かしたことがあった。が、今となってはどうだったか、あまり覚えていない。そもそも節操なく手を出す拓真が悪かったので、最後は拓真に怒りの矛先が向いていた気がする。

「まー、結婚に持ち込んじゃえば、こっちのもんよ」

私自身、雑なまとめかただな、と思ったが、本音でもあったので、そう伝えた。

「結婚・・・ですよね」

さとみの顔は晴れない。仕方がないか。私は話題を変えることにした。

「あ、そうそう。新しく導入されたアプリの使い方、教えて。一応自分のパソコンにはインストールしたんだけど」

「ああ、はい。あれですね。あれは・・・」

仕事の話題になって、さとみの顔色が明るくなる。この子は本当にいい子だ。可愛い後輩。守ってあげたいとすら思う。

私はまだ“ユイ”という子が自分にどんな影響を及ぼすかも知らずに、そんなことを考えていた。


*** 次回は6月23日(水)15時更新予定です ***

雨宮よりあとがき:今回の話を書くのに、下記の話しのリンクを探してて。全然見つからず。単に随分前の話なだけだったんですけど。随分書き続けてきたなあ、としみじみしてしまいました。たかだか半年くらい前のことなんですけどね。よかったら、下記の話もどーぞ!

▼さとみが由衣を殴った時の話

▼さとみと光先輩の電話の話しはこちら


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