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志賀内泰弘の             「京都あんなんこんなん案内」

「京都祇園もも吉庵のあまから帖」(PHP文芸文庫)シリーズの著者・志賀内泰弘が、毎週のように足繁く通う、京都の大路小路の社寺・スイーツ・飲食店・奇貨、ときに祇園のお茶屋遊びの出来事など、取材メモから、ほっこり、まったり、はんなりと紹介します。
           

毎話、主人公「もも吉」が、悩み事を抱える人々に、時にさりげなく、時に励ますような名言・至言を授けます。それが、それがこの小説の人気の源になってます。少々、ネタバレになりますが、例えば、8巻ではこんなセリフが。
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「禍福(か ふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し、ていう言葉がありますやろ」
「はい、知ってます」
「人生のうちには、ええことも、ようないこともいろいろある。ええことばかりは続かへん。そやけどなぁ、悪いことばかりも続かへんのや。いや、確かに不幸が続くこともある。それでもなぁ、そんな時こそ、笑うんや。もしもや、もしもやで」
「はい」
「幸せ運んで来はる神様が目の前に立たはった時、しかめっ面(つら)してたり、悲しい顔して泣いてたらどない思わはると思います? 『こないな暗い顔の人のところには居(い)たないわ』て、帰っていかはるんやないやろか。笑顔いうんは、幸せの神様(かみ さん)をお迎えする準備なんやないかて思いますんや」

また、1巻では、こんな言葉・・・。
「『頑張る』と『気張る』、似てるけど違うんや。わかりはるか?」

「……」

朱音はキョトンとして、女将と社長の顔を代わる代わる見た。

もも吉は、興に乗ったらしく、続きを語り出す。

「『頑張る』いうんはなぁ、『我を張る』こと。つまり自分一人の頑張り、独りよがりのことやなぁ。それに対して、『気張る』いうんは『周りを気遣って張り切る』ことや。仕事は一人ではできひん。周りの人たちを巻き込んで、助けたり助けられたりして、いろいろな考えを一つにまとめて自分の力を発揮することや」

さらに、もう一つ。4巻の言葉より。
「実は、うちは仏様が怖い顔してはる理由は、もう一つあるんやないかと思うてるんや」

菜摘の眼差しは、何かの救いを求めているような真剣さが漂っている。

「世の中いうんはなぁ、一見鬼のように思える人が幸せを授けてくださるんやないかてな。辛い苦しいことが、いずれは希望に繋がるし、不幸に思えることが幸せに導いてくれる。ええか『幸運』言うんは、時に『不幸』の顔してやってくるんや。そやから不幸な目に遭うても落胆することはないんやで」
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おかげさまで、ちょっと仕事に疲れた人、人間関係に悩んでいる人から「役に立った」「癒された」という声をいただいています。
「もも吉の言葉に、たまたま悩んでいたことがぴったりはまって、救われました」というお便りも届いたこともあります。
某上場企業の社長さんが、新入社員研修に活用して下さっていると聞き、作者自身もびっくりしています。

締め切りと闘いながら、アイデアが出るまでお気に入りのカフェで妄想しては、悶々と苦しみながら、一筆入魂でパソコンに向かっています。

https://shiganaiyasuhiro.com/



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