かつて、父親が願いを果たせなかった祇園のお茶屋遊び
京都が好きです。
おそらく五百回くらいは訪ねています。
よく言われます。
「そんなに好きなら、引っ越せばいいのに」
真剣にそう思い、物件を探したこともあります。
でも、訪ねれば訪ねるほど、その歴史の重みを感じるととともに、とても風習や習わしについて行けないと、臆してしまうのです。
結局、自分は、生涯を「京都をこよなく愛する旅人」でありたいと思うのでした。
たしか小学六年生の時だったと思います。
やはり京都が大好きだった父に連れられて、「鍵善良房」さんの四条本店を訪ねました。もちろん、いただいたのは、名物の「くずきり」です。
「雁の寺」「金閣炎上」などで有名な作家・水上勉さんはこう語っておられます。
「くずきりは京の味の王者だと思う」
子供ながら、その舌ざわりと甘露な黒蜜の味わいに魅了されました。
さて、店を出てしばらくぶらぶらと散策した後、東山安井か清水道の辺りでのことだったと思います。
まだ市内を走っていた市電に乗ろうと、電停に急ぎました。
遠くにもう電車が来ています。
二人して、走ろうとすると車掌さんが降りて来るのが見えました。
こちらに手招きして言われました。
「あわてんでもええよ」
なんと優しい街だろう。
その瞬間、私は京都好きを父から譲り受けました。
その父から、何度も聞かされた話があります。
父に学徒出陣の赤紙が届いた時のことだそうです。
それはお国のために「命を捧げる」ということに他なりません。
誰が言い出したのか。
気の置けぬ友人らと、「死ぬ前に祇園でお茶屋遊びがしてみたい」という話になったそうです。それでもみんな「一見さんお断り」という祇園の慣習は知っていたそうです。
若者に伝手などあるはずもなく、若さに任せて祇園へ出掛けました。
紅い暖簾をくぐり「冥土の土産に」と事情を話しました。ここで、
「そうどすか・・・出陣前に」
と、習わしを違えて迎えられれば人情話にでもなったでしょう。
でも、それはかなわいませんでした。
もっとも、当時の時局の悪化から営業すら困難で、学生に温情を施す余裕などなかったというのが本当のところだと推測しています。
私は「いつか父の〝仇?〟を」と思いつつ、私は学生時代から足繁く京都へ通い続けました。
そして40年という歳月が流れ、なんと祇園を舞台にした小説「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズを手掛けることになり、祇園甲部のお茶屋「吉うた」さんでお茶屋遊びをさせていただいています。
父を連れて行ってやりたかった。
そう思うこの頃です。
写真は、お世話になっている「吉うた」の女将・高安美三子さんの帯。
縁起物の「宝尽くし」の柄です。
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