【4.パリオリンピックを終えて】
8月11日、17日間にわたるパリオリンピックが終わった。
今日は18日。例によって作業が遅く、このテーマもタイミングを失した感があるが、構わず感じたことを書いてみた。
閉会式の前日、テレビ番組で「パリオリンピックは成功か、失敗か」をテーマに8人の有名人が議論していた。関西限定の、個人的には好きな番組なのだが、この回は正直しょーもないテーマと思った。
いろいろ反省点はあるにせよ、世界中にこれだけの感動を与えてくれ、また、日本人であることを強く意識させてくれたパリオリンピックは、個人的には間違いなく大成功だ。
しかも今大会で日本選手は、金20個、銀12個、銅13個と、大活躍だった。
最初からリアルタイムの視聴はあきらめていたが、それでも毎朝起きて日本のメダル獲得数を見ては興奮した。
特に最終日には、一日で金4個、銀4個を獲得し、国別メダル数でも、アメリカ、中国に次いで第3位となった。
東京オリンピックはどうだったのか気になったので調べてみたが、この時も第3位だった。
私が記憶している最初のオリンピックは1968年のメキシコ大会。
以来オリンピックで、日本はあまり強くないイメージを持っていたが、いよいよスポーツ大国の道を歩み始めたのだろうかと期待させてくれる。
おおいに楽しませてくれた大会だが、細かく見れば、期待通り、または期待以上の結果を残した選手がいた一方で、メダルを期待されながら涙をのんだ選手も多かった。
書き始めると次から次に書きたいことが浮かんできて、本来書こうと思っていたことにたどり着けそうになくなってきたので、全体の感想はこれぐらいにする。
今回書きたかったことは、私が観た中で特に心に残った(私の)名シーン3選と、一部の残念な人たちのことである。
阿部詩選手敗退
何といっても、今回のオリンピックで最も印象に残ったのが、阿部詩選手の敗退だ。
阿部一二三、詩兄妹といえば、東京オリンピックで兄妹金メダルを達成し、パリオリンピックでも兄妹連覇が期待された。
名前といい実績といい、兄弟愛といい、まるで柔道漫画から抜け出た主人公のような二人である。
その詩選手が早々に負けた。
柔道女子52Kg級の2回戦。1回戦で簡単に一本勝ちを収め、ここでも問題なく詩選手が勝つものと思っていた。実際中盤までは、圧倒的に詩選手が優勢に試合を進めていた。
だが、一瞬のスキをつかれ一本負けした。
私の心に残った名シーンはここからだ。
負けた瞬間、目を大きく見開いて茫然と座り込む詩選手の表情。
かろうじて相手選手と礼と握手をした後、まるで、母親に怒られた幼児のように、コーチに抱きついて泣きじゃくる詩選手。
そして、会場に響き渡る詩選手の号泣をかき消すように、自然発生的に拡がった、観客の「ウタ!ウタ!」の大合唱。
実際、大人がここまで泣けるものかと思った。
しかし、大きな夢を追求し、その実現のために、凡人には計り知れない厳しい練習を積んできた詩選手だからこそ、ここまで泣けるんだと思った。それが観ている人の心を動かし、大合唱となった。
詩選手の号泣する姿には、礼節を重んじる柔道家としていかがなものかという批判もあったようだが、果たして対戦相手のウズベキスタン選手は、無礼と感じたのだろうか?
少なくとも、詩選手が毅然とした態度で会場を後にしていたら、世界中にここまでの感動を与えることはできなかったと思う。
詩選手が負けたことは本当に残念だったが、それを上回る感動をくれた、記憶に残るシーンだった。
ちなみに相手のウズベキスタン選手は金メダルを獲った。
兄の一二三選手は金メダルに輝いた。詩選手も混合ではしっかり一本勝ちで強い姿を見せてくれた。
次のロスオリンピックに向けて、この兄妹が新たなドラマを見せてくれることを期待している。
やはりこの二人は柔道漫画の主人公だと思った。
体操男子団体決勝
次は体操。日本のお家芸と言われる男子体操が、最後の最後に大逆転で金メダルを獲った。
0.1点差に泣いた東京オリンピックの雪辱を誓って臨んだ大会。
エースの橋本選手が、あん馬で落下するなど調子が出ない中、メンバーのミスを全員でカバーしてつかんだ金メダルである。
決勝では最終種目の鉄棒を残し、首位の中国とは3.267点差。一種目あたりの演技者は3人なので、一人平均1点以上中国選手を上回る必要がある。奇跡が起きない限り、逆転は不可能な数字だと思った。
しかし選手たちはあきらめなかった。そして奇跡は起こった。
中国の二人目の選手が、2度鉄棒から落下して逆転した。
選手は全員素晴らしかったが、中でもひときわ印象的だったのが、主将を務めた萱選手。
出場した4種目でトップバッターを務め、チームに勢いをつけた。
着地の時はひときわ強いガッツポーズをとって雄叫びをあげた。
他の選手の演技が終わるたびに、力強く「絶対にあきらめるな!」とメンバーを鼓舞していた。
鉄棒の最後の演技、橋本選手が着地を決めた瞬間、その萱選手の顔がクシャクシャになった。メンバー全員が、大声をあげて泣きながら、戻ってきた橋本選手を迎え、抱き合った。
ぎりぎりの状況の中、全員が心を一つにして、すべてを出し切った満足感だろう。
そして、最後の中国選手の演技が終わり、金メダルが決まった瞬間、再び萱選手の顔がクシャクシャになった。全員が大声をあげ誰彼構わず抱き合い、喜びを爆発させた。
誰の声だかわからないが、心の底から振り絞るような、「やっと取れた!」という声に、彼らのすべての想いが詰まっているような気がした。
画面に、萱選手が涙を流し、歯を食いしばりながら上を向いて一点を見上げる姿が、何とも言えなかった。
ピンチに陥ったチームの士気を鼓舞し続けた萱選手の姿に、真のリーダーを見た。
私も60年以上生きてきて嬉しい事もあったが、この選手たちが味わったような喜びは、きっとこれまでなかったし、これからもないのだろうと思う。心底彼らをうらやましく感じた。
同時に、この日のために自身を律して努力を重ねてきた人にのみ与えられる究極の喜びだと思った。
レスリング女子フリースタイル53Kg級決勝
最後は藤波朱理選手。公式戦133連勝でオリンピックに臨み、圧倒的な強さで期待通り金メダルを獲った。
もちろん藤波選手の金メダルは嬉しかったが、感動したのは決勝で戦った、エクアドルのジェペスグスマン選手だ。
試合は藤波選手が圧倒的な力を見せ、10-0で勝った。
感動したシーンは、試合が終わった直後。
完敗したジェペスグスマン選手が、リングに座り込んで勝利を噛みしめている藤波選手に、満面の笑みをたたえながら抱きつき、何度も何度も藤波選手の背中を叩いた。
自分を負かした相手を、心から祝福しているように見えた。
画面ではほんの数秒間のシーンだったと思うが、強く印象に残る、なんともすがすがしい気持ちになった。
勝っても負けても、全力を出し合ったもの同士だけが味わえる境地。
スポーツには勝敗以上の価値があることを実感した。まさにスポーツマンシップ、オリンピック精神の理想を見せてもらった気がした。
表彰式では、表彰台の中央で喜ぶ藤波選手の横で、ジェペスグスマン選手が満足そうに銀メダルを握りしめる姿が印象的だった。
残念な人たち
他にもさまざまな感動をくれたオリンピックだった。私が、見損ねた名シーンもたくさんあったに違いない。
しかしそうした感動の一方で、相も変わらず選手や審判らを誹謗中傷する残念な人たちがいた。
阿部詩選手の態度には賛否両論があった。
凡人には計り知れない努力を積み重ね、兄妹連覇を目指した詩選手の夢が破れた瞬間である。
それを強く感じさせてくれたのが、人目もはばからず号泣する詩選手の姿。泣くのは自然だと思った。
だが、彼女の態度が礼節を欠いていると苦言を呈する人たちがいた。
武道家から見ればそうかも知れない。しかし、仮にそうだとしても詩選手は若い。道を究める途上の選手と思えば、「今後の成長に期待」すればいい話で、あの場の詩選手には厳し過ぎるように私は感じる。
しかし、私が本当に残念だと思うのは、詩選手を批判する人たちではない。阿部選手の態度に批判的な人を誹謗中傷する人たちである。
ある番組で、詩選手の態度に苦言を呈した有名人に対し、「番組からつまみだせ」、「自分はロクなことをしてこなかったくせに」「言語道断」といった誹謗中傷をする人たちがいた。
確かに、批判の仕方によっては腹が立つものもあるだろう。しかし、武道の精神や礼節を重んじる人にとって、相手のいる前で号泣する姿に苦言を呈する意見も当然あると思う。
それが、おかしいと言うならば、最低限なぜなぜ番組からつまみださなければならないのか、なぜ言語道断なのかを説明しなければならない。
勝手な想像だが、理由は「自分が気に食わない」以外に思いつかない。
結局、詩選手の態度に批判的な人たちを誹謗中傷する人たちは、詩選手に寄り添っているつもりになっているだけで、実は自分の気にくわない人の存在を否定したいのであり、詩選手の行動を批判する人よりもひどいことをしていることに気づかない。
こうした誹謗中傷は他にもあった。
期待されたバレーボール男子は、準々決勝でイタリアに敗れた。すると大事なところでミスをした特定の選手に対し、「ゴミ」「クソ」などといった誹謗中傷をぶつける人がいた。
柔道男子60キロ級準々決勝では、疑惑の判定で永山選手に勝ったスペインの選手に対し、「汚いやり方で取った最も恥ずかしいメダル」「人間性を疑う」「柔道をやめろ」などの誹謗中傷があった。
こうした 誹謗中傷を内輪でするのなら、周りの反応はともかく、自分の責任で好きにすれば良い。
しかし、自分は匿名で安全な場所から、相手のみならず、世界中の人が見ることができるSNSで誹謗中傷することは卑怯である。
また行き過ぎた誹謗中傷が、時に人の命を奪うこともあることを学べないのであれば、本当に残念な人たちである。
疑惑の判定で敗れた永山選手は、インスタグラムに次の投稿をしている。
「ガリゴス選手が会いに来てくれました!彼から謝罪の言葉がありましたが、彼にとっても不本意な結果だったと思います。オリンピックの舞台で彼と全力で戦えた事を幸せに思います!誰がなんと言おうと私たちは柔道ファミリーです!」
誹謗中傷する人には失礼だが、人としての品格の違いを感じる。
私も、期待する選手や日本チームが負けると、その選手や大事なところでミスをした選手に腹が立つこともある。
しかし、負けた選手やミスをした選手は、当たり前だが、私よりもはるかに努力し、高い能力を持ち、そして勝ちたいと思っているのである。
誤審を疑われた審判も同じだろう。知識と実績を重ねてオリンピックの舞台に立っている。
そのことに対する敬意は、最低限持っていたいと思う。
完全無欠な人間はいない。私も失敗するし、誹謗中傷する人も失敗しているはずだ。失敗に対する批判や叱責はあるにしても、失敗した人の存在自体が否定されるような社会はゴメンである。
要するに、「自分がやられていやなことはしない」ことだ。
たったこれだけのことで、ずっと社会は住みやすくなると思う。
次回予告
ともあれオリンピックは、努力すること、あきらめないこと、全力を出すこと、仲間を信頼すること、相手に敬意を表することなど、普段忘れかけている大事なことを、選手たちが思い出させてくれる。
きっとまた忘れるのかも知れないが、それでも4年ごとに思い出させてくれるオリンピックは、人類の叡智が生み出した偉大なイベントだと思う。
さて次回であるが、ヒマになってからお世話になっている、テレビのワイドショーについて話してみたい。ワイドショーにもかねてより疑問に感じていることが多いのである。