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【3.テクノロジーの進化は何をもたらすのか?】

いまさら感があるが、テクノロジーの進化がすさまじい。

テクノロジーのおかげで、社会はどんどん便利で快適になった。AIが登場して、便利さ、快適さはますます加速するだろう。
 
とともに、人間は「未知の世界」に立ったように感じる。
単に便利で快適になるだけなら結構なことだが、「未知の世界」と言ったのは、単にそれだけでは済まないような気がするからである。
 

今、世間はパリオリンピックで毎日のように日本人アスリートの活躍が伝えられている。

こっちのほうが楽しく書けそうだが、思い立った機会に、テクノロジーの進化がもたらす未来について考えていることを整理してみたい。


テクノロジーの進化


今の若い人たちが当たり前に使っている製品やサービスの多くは、私が子供の頃にはなかった。
興味が湧いたので、私がこれまでの人生で体感した、テクノロジーの進化を少し振り返ってみた。
 

まず私が強烈に記憶に残っているのがカラーテレビだ。
テレビ自体あまり見なくなった若い人たちに笑われるかもしれないが、テレビは私たち世代の、大きな娯楽だ。

家にカラーテレビが来たのが1970年、小学校4年生の時。
巨人対中日の試合をカラーで見たのが鮮明に記憶に残っている。ちなみにその時の中日のピッチャーは、後に阪神を優勝に導いた星野仙一だった。 


中学2年生の時に家のリビングに付いたクーラーにも感動した。今ほどではないにしろ、やはり夏は暑かった。学校から帰ってクーラーをつけるとそこは天国だった。

考えられないことだが、クーラーが登場するまでは、扇風機とウチワで夏を乗り切っていたのである。 


社会人になっていた23歳の時には、任天堂からファミコンが発売された。
それまでテレビゲームは、テーブルが画面になっているゲーム喫茶で、1ゲーム100円で遊んでいた。自宅で好きなだけゲームができるファミコンは画期的だった。
 


そして今の世の中に欠かせないパソコンを、私が本格的に使い始めたのが、コンサル会社に入社した1989年、29歳の時だ。

当時はラップトップコンピューターと呼んでいたが、持ち運び可能と言っても今とは比較にならないぐらい重く、サイズもカバンに入るものではない。値段も100万近くしたと思う。個人ではとても買えない。 

それでも、鉛筆と消しゴム、黒電話を使って仕事をしていたことを考えれば、革命的だった。 


インターネット
が普及しだしたのもこの頃だろう。インターネットを使った電子メールが登場して、主要なコミュニケーションツールとなった。


その後、1990年代後半には、携帯電話が一気に広まった。私は2000年頃、遅ればせながら必要に迫られて会社支給の携帯を持つようになった。

携帯電話が普及して、すっかり見ることのなくなった公衆電話を探す必要もなくなり、待ち合わせ場所に遅れそうになった時も、すぐに連絡が取れるので、むやみに焦ることもなくなった。


カーナビ
を使い始めたのは、20年ほど前に車を買い替えた時。初めての場所でも、いちいち道を調べる必要がなくなり、随分便利になった。
 

そして最近では、コロナを機に一気に普及したZoomやTeamsなどのWeb会議ツールがある。おかげで、少し足が悪い私でも、あまり不自由なく仕事ができている。
 

改めて振り返ってみると、仕事もプライベートも様変わりした感がある。
 
他にも、好きな映画や音楽を好きな時に観たり聴いたり、SNSで自分の考えを自由に発信したり、ネットで買い物したり、スマホでお金を払ったり、挙げればきりがない。
 

AIの登場


2年ほど前、Chat-GPTなどのAIが登場した。
もう仕事にも使っているという人もいるだろう。
 
さまざまな質問に、人間のように答えてくれるのはもちろん、文章や画像の生成、脚本や小説、音楽、映像まで作れるらしい。
 

私は今年になってから、例によって必要に迫られてChat-GPTを使い始めた。といっても、AIに質問して回答を得るといった、ごく初歩的な使い方だ。
 
しかし・・・、しかしである。
Chat-GPTには正直感動した。
質問すると何でも答えてくれる。しかも人と話しているように!
 

思わず、「何でも知っているんだね!」と入力してみたら、「どういたしまして、云々」と、謙遜しながらも嬉しそうな返事が返ってきて、妙に親近感を覚えた。
また、バグなのかよくわからないが、質問に”タメ口”で返事を返してきたこともあった。
 

何しろ人間的である。

もちろん、必ずしも求めている答えが返ってこないこともあるし、答えが間違っていることもあるらしい。しかしそれがまた人間らしい。


やったことはないが、AIと一日中会話を楽しめそうな気がする。実際AIに恋愛感情を抱く人もいるようだ。
 

単純な使い方でさえ感動するのだから、画像や音声、小説や音楽の生成といった、創造的なことをさせればもっと大きな感動があるのかも知れない。

しかし実は、そこに私の不安があるのである。
 

人類は退化している?


テクノロジーが進化して社会は便利で快適になった。
 
パソコンで文章を作るようになって、漢字を覚える必要がなくなった。
携帯・スマホができて、電話番号を覚える必要がなくなった。
カーナビができて、道を覚える必要がなくなった。
知らないことがあっても、ネットで検索すれば詳しい説明が得られるので、細かい事まで覚える必要がなくなった。
 
便利になったことのほんの一部である。
 
しかし、覚える必要がなくなったことで、一人の人間として考えれば、昔の人が当り前にやっていたことが、コンピュータの助けがなければできなくなっている。

便利になればなるほど、人間はどんどん退化しているのではないかと思うのだ。
 

しかも、ここにきてAIである。小説や音楽、映像など、かつてコンピュータが苦手とされた創造的な分野でも、AIは進化し始めたう。

AIによって、考えたり物事を創造したりする領域でも退化するのではないかと心配になる。
 

考えてみれば原始人の能力はすごい。
彼らは、生活に必要な道具を作る。狩猟や農耕で食材を調達し、火を起こして調理する。家を造り、衣類を作る。

しかし、私にできることはひとつもない。
 
テクノロジーの進化により、人間の能力は退化していくのだろうか?
 

『ターミネーター』の世界


私が生きてきた半世紀と少しの間に、世の中は大きく変わった。
これからの半世紀が、これまでとは比較にならないスピードで進化するということは、素人でもわかる。
 
すでに創造的な能力を備えつつあるAIは、その能力を高めていくだろう。
また、AIには自己学習能力がある。この能力もどんどん高まっていくだろう。
 
人間が退化する一方、AIが自分でどんどん成長する。

ついにはAI自身が理想と考える社会の実現のために、AIが法律を作り、理想の実現を妨げる人間を処罰する。

こうした社会が来るかも知れない。
 

AIが理想とする世界がどういうものかはわからない。

ひょっとすると、核や戦争、貧困や環境破壊を悪として排除し、自然と共存する、平和で豊かなユートピアが実現するかも知れない。
 
あるいは、AIが自己保存本能を学習し、自己成長し続けることを理想として、それを妨げる恐れがある人類を滅ぼそうと、核爆弾を全世界に落とすかも知れない。
 
『ターミネーター』の世界である。
 

と、ここまで書いてきて、だんだん無知なヒマ人の妄想が膨らんできているということに気づいた。
 
おそらく、こうした破滅的な未来を招かないように、世界中の優秀な専門家たちが、対策を考えているはずである。そうでなければいけない。

悲観的な妄想を膨らます前に、AIの未来について勉強してみる必要がある。
 

これが今回書いてみて、私自身気づいたことである。


まずは、AIの進化がもたらす未来について、Chat-GPTに質問してみよう!(笑)
 

次回予告

なんとか投稿も3回続いている。

前回は、東京都知事選を題材に、世の中が表面的になっていることに関する不安、そして今回、テクノロジーの進化が、ターミネーターのような未来を招きかねない不安について書いてみた。
 
今後も、この2つの不安に関することを中心に書いていきたい。また、今回気づいたAIに関する勉強の成果もいずれ報告したい。
 
今、まさにパリオリンピックが佳境である。

阿部詩選手や男子体操団体など、さまざまなドラマに感動する一方で、例によって残念な人たちのニュースも聞こえてくる。

次回は、こうしたことについて感じたことを書いてみたい。



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