ずっと「働き先」を選んできたが「働き方」も選ぶようになるのだろう。
遠く昭和の話で恐縮ですが、シンナーで歯がすっかり細くなってしまっているような奴でも、本人に働く意思があれば、当時は働き先があったのだ。
私が高校生だった頃に、よその高校を中退した中学時代の同級生と並んで歩いていて、いっぱしの不良だったその彼が「俺も来月から働くんだよ」と寂しそうに言っていた。昭和の、郊外の街角だった。
「そうかよ」ぐらいの素っ気ない返事をしたと思うが、私も高校生ながら各種アルバイトをしていて、垣間見る大人の「職場」が幼稚なマウントの取り合いに終始しているらしい事にすでに辟易していたので、内心、かつての同級生に同情した感覚を、情景ごと覚えている。
* * *
もう何十年も前から、この時のことをふと思い出す時に興味の対象が変わってきていることに気づいていた。
若い頃は「あいつどうしてんだろう」と同級生の行く末を案じていたが、自分が大人になるにつれ、そして日本の経済成長が鈍化するにつれ「あいつを雇った社長だか親方だかって、すごい人だったんだろうな」と、会ったことのない雇用側の方を想像するようになっていた。
平成以前には本当に、高校全体がドロップアウト者の巣窟、みたいな学校が首都圏やその近郊に少なからずあったので、後にヤンキーと形容される当時の不良は、けっこうたんまり居た。
だから、経済成長が続いていたあの当時には、そういう毛色の若者を雇い入れる先も、たくさんあったのだろう。
きっと、会社側としては採用しても裏切られることも多かったのではないかと思うが、それでも「やる気があるなら来月からでもウチに来い」と、門を叩く不良共に機会を与え続けていたのだろうと想像すると、昔の大人は大人だったよなぁ、と感慨深い。
もちろん、会社側が今でいう超絶ブラック企業だったという可能性も少なからずあったとは思うが。
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「俺も来月から働くんだよ」と教えてくれた同級生は言外に(いつまでも遊んでられないし。バカやってられないし)という思いを含んでいたと思うが、今だったらいくらそんな風に思ったところで、堅気の仕事にサッとつけることはないだろう。
コロナの甚大な影響で、雇用の維持自体が多くの会社で厳しくなっている。ましてや新規雇用など、とても考えられないだろう。
アルバイトの口さえ、ほぼないのが現状のようだ。
そしてそもそも「働く」という概念自体が、もうこれまでとは地続きではなくなってしまったのではないか。
この数か月をただの小休止としてのみ考えて、人や世の中に「働きかける」ことを以前と同じように捉えていいのだろうか。
「働く」ことひとつとっても、かつてのように無条件な共通認識が持てず、各自がそのスタイルを以て、覚悟を以て、「働き方」を選ぶようになるのだろう。
昭和のあの頃から見たら、令和はつくづく未来だと思う。
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