室内から物が無くなる長年の謎。
まず、扇風機が、無いのだ。
捨てていないと思うのだが、いくら探してもない。
そして、いま蚊に二か所も喰われたのでベープノーマットをつけたものの、念のために殺虫剤を探したが、やはり、これも無いのだった。
貸した覚えのない本も、昔から多数紛失している。読みたい。悲しい。
若い頃は、アルバムやゲームカセットなどがよくなくなったが、あれは貸し借りを忘れてしまってのことなのだろう。
財布を無くして交番に行ったらすでに届けられていたことがあった。
届け主にお礼をぜひ言いたいと言っても、個人情報保護のためと言って名前も絶対に教えてくれなかった。
その後で、戻ってきた財布の中をよくよくみたら、近所のスーパーのポイントカードが2枚出てきたので
財布の中身の乏しい私に、ポイントカードを恵んで下さったのだ!
と感激し、現代の民話のようだと思ったのだが、スーパーで確認したら2枚とも私のものだった。何かの拍子に作り直したことを忘れていただけだったようだ。
モノがなくなると、居心地が悪くて逃げだしたのかな、などとファンタジーなことを反射的に考えてしまう。
しかし、あながち間違ってないのではないかと思う。
ケストラーの「機械の中の幽霊」ではないが、無機物にも有為の傾向はきっと生まれる。
在り続けようという意思は叶わないことが多くても、消えて無くなろうという意思は、扇風機や殺虫剤や本や財布にとっても、きっと叶えやすいのだろう。
ただ、引き留めないから、消える前に一言あってもいいじゃないかと思う。
私もお礼を言いたいし、居心地の悪かったことを謝りたい。
しかし、扇風機あたりがすごく口が悪かったりすると、喧嘩別れになってしまうかも知れないから、やはり黙って無くなることを良しとしよう。