足りない、おまけ
呑まれるように、流されるまま、4月が終わる。
記憶らしい記憶があまりないほど、淡々とした30日間だった。記憶というよりは、実感がない。春の実感。季節の変わり目。年度の変わり目。大型連休。
時間があるんだか無いんだかわからない毎日だった。漫然と過ぎていったような気もするし、懸命に過ごしてきた気もする。どちらにしても、今までいい加減に扱ってきた些細な幸せが、いちいち気持ちを整えて活力をくれることを知った。もう馬鹿にしない。
起きる、食べる、寝る、は質とリズムで生命を維持するペースメーカー。これが狂うと、いろんなことがどうでもよくなって、自分の人生を呪いはじめてしまう。
料理、洗濯、掃除、は心を鎮める儀式だった。手を動かして、綺麗な環境を整える過程が、自分と空間を繋げている。繋がって初めて、健全な生活が成立していた。
仕事、は義務だった。この生活は無条件では維持できない。無償で安全や健康は保てない私にとって、掛け替えのない手段であることを否定できなかった。
あとはみんな、おまけだった。おまけがないと、どうしようもなく寂しい。私はこの30年間でとんでもない量のおまけを得てきたらしい。
この4つに気がついてみると、これから先の生活の質が変わるんだろうなと結構はっきり確信している。何も失わずにここへ来られたのはラッキーとしか言いようがない。
物足りないけど、お腹いっぱいの日々。
変わらない日々を守ることで、変わっていけるのであれば、私は喜んでこの日々を守りたい。私はもっと、逞しくなりたい。世界の転機が、私の転機にもなればいい。
実際は変わらないことに鬱々とする日もそれなりにあるんだけど。それでも、自分で自分を励ますトレーニングを続けていくだけ。
そんなこんなで、我が家の観葉植物・シェリーさんは、芽がずいぶん伸びました。淡い若葉色だった葉っぱには、ツヤと柄が出てきました。こういうおまけ、愛おしい。