きもの展の続き(備忘録メモ)

・きものは江戸時代まで「小袖」と称されていた🎵

平安時代以降、貴族が着用する「大袖」に対し、袖が小さくぬい狭められ、袖がある衣服を「小袖」と呼ぶようになった🎵

中世、小袖を外に着るようになった🎵

ーー日本の伝統衣装きもの

決められた幅と長さをもつ一箪(いったん)の着物から裁断され、同じ形で仕立てられたのに人が通せば独特の個性が生まれる。日本の美意識を色と模様で表したものは、まさに現代を生きる日本の象徴。過去、現在、未来を見つめる旅(音声ガイド)

着物は、1だんもの、2柄、3染め 自分の着物つくりたい

いい味になっていく🎵


1661から1673まで寛文年間になると、小袖モードに革命がおこる!

模様全体に動きを伴う、それまでの地を埋め尽くす模様とは異なり、模様全体に動きを伴う斬新なデザインが生まれる🎵

・鹿の子絞り(匹田絞り 別名ひったしぼりという)

(寛文小袖のコーナーにあった光琳のような斬新な着物)ここで用いているのは、すりびったという技法で、まだら模様を彫った版木で波の部分だけが印刷されている🎵

1683元和3年、ぜいたく禁止令

そうかのこ、刺繍の着物、禁止!⇒友禅の流行

1683の禁令以降、総鹿子絞りの代わりに、「豊後?絞り」や「杢目(もくめ)絞り」が小袖模様に取り入れられた

この「杢目絞り」は、一定の間隔をかけて、布をぬい、ひきしぼってそめることで板の板目のような模様ができる技法


「白上げ」にした小袖 これは、勝川春章が下絵を描いている

白上げは、のりをおいたところを白く染め残す 18世紀半ば頃特に流行


・摺匹田(すりひった)は武家の女性の衣装に見られる特徴🎵

文久2年、公武合体のため和宮がとつぐ

通常、公家の女性に対し、摺匹田はあしらわないが、和宮のため武家のしきたりにそった衣装もできる

和宮さん、スズメすきだったんだ~OKの


・火消は着ているものの裏に図柄があった

消し終わったら裏返していた🎵



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