見える岐路と見えない岐路
こんばんは、もぬんこです。人生には岐路があり、岐路は2種類ある。そんなお話です。
目に見える岐路
16歳の時、小さい頃からの夢(というか刷り込まれてきたもの)を捨て、大学進学という道を選びました。その後も新卒で就職をしない、結婚、離婚、転職等、多くのことを自分で選んで生きてきています。大学進学という選択は卒業すれば肩書がつく、就職をしないという選択は逆に企業名という肩書がつかない、結婚すれば姓が変わり、離婚しても姓が変わり、転職することで企業名という肩書が変わります。
人生の節目とも呼べる岐路は、ものすごく大きな労力を使いました。すべての人に理解されることはなく、批判や非難も多くあり、傷つきながらも「私が決めたことだ。だから、それが私にとっての正しさだ。」そう言い聞かせて乗り切ってきたのです。特に離婚、転職の時は、すべてを捨てる覚悟で臨みました。
目に見えない岐路
前述した「すべてを捨てる覚悟」が私にとっての目に見えない岐路です。
それまでの人生は、批判されながらも肯定してくれる仲間がたくさんいたのです。上っ面の良さに定評のある私は、どう見られるかということに重きを置いて生きてきました。それは結果的に自分を苦しめる結果になっていることはわかっていたのですが、断ち切れなかった。それは私の弱さであり、甘えでもありました。
結婚・離婚・転職は、キーマンに理解されない自信があり、一人になることを私自身がちゃんと覚悟しないと向き合えなかったのです。
すべてを捨てる覚悟=自分自身のために生きる覚悟
私はそう定義しています。ある意味「断捨離」です。
上っ面が良いことが私らしさの一つでもあるのですが、私は私のために生きないとどこかで壊れてしまうと感じたのです。というか壊れたんですけどね。「このままだったら間違いなく自殺するわ。あかん。」ある意味冷静な自分に感謝です。自分を俯瞰してみている証拠と言えばそれまでですし、いつかのnoteに書いた逃避の一つだったのかもしれません。
人の心の中の選択は、誰にもわかりません。こうやって書き表したり表現することでやっと目に見えるものになります。ただ、感覚的な要素が大きいため伝わらないことも多いのが目に見えない岐路だったりします。
自分自身のために生きるために諦めたこと
誰かのためにではなく、自分のために生きると決めてから諦めたことがたくさんあります。卑屈に感じるかもしれませんが、全て書き出して判断していったものです。
・家族からの理解
・友達関係
・借金 ※元旦那の住宅ローンの名義に入っている
・次の結婚および子供 ※誰かに愛されるということ、誰かと生きるということ
最後については、そんなことないよと言ってくれる方も多いです。
それでもまだ自分自身で腹落ちはしておらず、諦めている状態です。というより期待したくないって感じ。
今が楽しければそれで良い。そういう風に考えて生きるしか今の私にはできません。
未来を覗いても悲観的な光景しか映らない時もあります。私はそれが3年くらい続いてるってだけなんです。
かといってネガティブかというとそうでもないのが私で、腹の底は根暗でも「とは言ったもののもうやだーと叫んでも何も変わんないしなぁ」という感覚でポジティブに過ごしています。noteと実際にあった時の落差が激しいので、会ったことある方は気づいているとは思いますが(笑)
目的のない人生をいかに生きるか
私は「誰かのために」生きてきた人間です。だからこそ「自分のために生きる」と選択した瞬間に大きな喪失感を覚えました。私自身が「やりたいこと」がないのです。
小さな希望はあれど、大志がない。
これはある意味私の中での誤算でした。私は「多くのことを我慢している」と思っていたからです。蓋を開けてみると、私自身は誰かを支えることが大好きなだけで、自分自身は中身のない人間でした。
自分のことを自分自身が一番わからないを証明したことになります(苦笑)
自己分析をするとおそらく秒で自殺するくらい闇が深いので、絶対に深い分析をしないのですが、ここまで雑な生き物だったかと感心しています。
やりたいことをやると言って上京してきたにも関わらず何もできない空っぽの自分に幻滅しつつ、それでも自分ができることを探すのが2020年度という年なのかもしれません。
真っすぐにやりたいことをやっている人々に力をもらいながら、何とか自分の足で立ち、「まずは自分らしく生きるを目標に2021年度を迎えたいなと思います。
私は私という人生をいかに生きるか…ほんの小さな光でも良いので見つけられることを願い、文章を綴ります。
破壊なくして創造はない
オンラインサロン内でも大きな役割を一旦終え、節目と呼べるのが2020年10月です。明日から5~7日間くらい自分を破壊するモードで過ごしたいと思います。今まで怪我なくして人生という岐路で前に進めなかった私です。多少無理をしてでもケリをつけ、一回空っぽになって、落ちるところまで落ちて、復活したいなと思います。箕輪厚介著書「死ぬこと以外かすり傷」にも書いてありますが、破壊なくして創造はありません。死ななけりゃかすり傷(痛いけど)ってことだと思いますし、死なない程度にぶっ壊してきます。
上記理由より、10月の頭はTwitterやFacebookは浮上少なめにします。Instagramは表現の場なのでフィード投稿はしようかなと考えています。
月末になっても浮上しなければ一回死んだと思ってください(笑)
では、ほんの少しさようなら。最後まで読んでくれてありがとうございました。
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